その視線の根底は芸術か、性的嗜好か。
現代の倫理観で観たら、主人公はただの変質者ストーカーで、お巡りさんこっちです案件。
同性愛を否定する気はないが、一方的にきょどって一喜一憂している初老を眺めるのはきつい。
タジオ少年の美しさに感心するよりも、主人公に投影されたヴィスコンティ監督のねっとりとした気持ち悪さが勝った。
前情報無しで観てそのように思い、ヴィスコンティ監督がバイセクシャルで性的搾取をしてきたエピソードなどを後から知ると、現代の倫理観フィルターのせいではなく、やはり最初に抱いた感想通りで、気持ち悪さが強く残った。
「世界一の美少年」と謳われた、タジオ役のビョルン・アンドレセンは先日死去した。
一見輝かしいそのレッテルは「人生を酷く狂わせた」と、本人は語っている。
確かにタジオは美しい。
しかし、その幻想をアンドレセンに背負わせて、搾取してきた周りの大人は醜穢甚だしい。
「邪悪は必要、芸術の根底に平凡は要らない」
というくだりには概ね共感したし、所々良い画もあっただけに、生理的に受け付けられないのが残念。