Takaomi

遠い空の向こうにのTakaomiのレビュー・感想・評価

遠い空の向こうに(1999年製作の映画)
5.0
またまたいい映画に出会ってしまった。

夢をみることを許されない閉ざされた街で、困難に立ち向かいながらも、仲間や先生、大人たちに支えられてロケットを打ち上げる夢を叶えて行く実話を元にした物語。

この映画を観てまず最初に感じるのは、夢をみることの素晴らしさ、叶えることの可能性は果てしなく終わりがないということ。

コールウッドという街は、石炭が豊富にとれ炭鉱が盛んな地域。
そういえば聞こえはいいが、そこで生まれた人々のほとんどは夢をみることはおろか炭鉱で働くことそしてこの街で生きることが約束されている。

しかも炭鉱の仕事は、命懸けなのだ。
落石や爆発が日常茶飯事におき、命を落とすものもいれば、肺が削った石炭の塵におかされ死ぬこともある。
それでも、家族のため、街のため、生活のために命を削って嫌な顔ひとつせず働く姿は、本当にかっこいい。

それでも生まれた時から未来が約束されているなんて、現代の私たちからすれば考えられない。

そんな中でも諦めず夢を追いかけるなんてどれだけ難しいことだろう。
そして、陸の孤島と言われていた閉ざされた街でロケット産業がまだ盛んではなく情報や参考書なんて一握りしか手に入らない現状でも、折れかけることもあるけれど清清しいくらい諦めないんです。

そんな主人公に比べ僕たちはどうなんでしょう。
こんなにも欲しいものは何でも手にはいり、自由に好きな教育を受けられて、情報や参考書なんて捨てるほど転がっている世の中で、どんな夢だって見ることができるはずなんです。

なのに僕らは自分にはここまでしかできないんだというハードルを、言い訳を作って諦めているのが本当に滑稽に思えてしまう。
夢だけでなくやりたいこともやってみたいこともそうだと思う。

夢をみることを忘れてしまっているのは、誰よりも何よりも僕たちである。

閉ざされた街で、わずかのお金で夢を掴んだ彼らにできたのだから、僕らにできないことは一つもないというのを改めて教えてくれます。

そして、それを支えてくれる人、応援してくれる人、鼓舞するひと、両親や友達、先生、大人たち の存在も忘れてはいけないということ。

ロケットボーイズの四人が一人欠けただけでも夢を実現することはできなかった。

そもそもあの時に星空を見上げていなかったら、あの時に先生に出会っていなければ、協力してくれた人が別の街に住んでいたら、そもそも一人だけでも存在が欠けていたら。
夢を実現することや夢をみることすらできなかったかもしれない。

反対する人や鼓舞する人も同じことが言える。

今いる周りの大切な人たちやこれから出会うであろう人々は、きっと選びに選ばれてめぐりめぐって出逢えていると思う。

今の自分にとって必要だと思うし、もしかしたら今は必要でなくともいつか必要となる時が来るのかもしれない。

今は出会えていない人もいるかもしれないしどうせ一人だからいいさと思ってる人もいると思う。
でも誰しも一人ではないのです。同じように思っている人もいて、手をさしのべてる人がいるかもしれない。
それはいつどこで出逢えるかわからない。動き出した時かもしれないし、立ち止まっているときかもしれない。

それを考えるだけでも、ワクワクしてくる。

それぐらいこの映画に出てくる人たちも、かけがえのない存在なんです。

ロケットの夢を追いかける四人の同志、反対しながらも素直になれない父、息子をこっそり応援する母、夢を鼓舞して応援する先生、ロケットのパーツを溶接したり、部品の発注制作をしてくれる親父さんたち、愛する彼女

ひとりひとりの繋がりがいとおしく、下界ではなく遠い空の向こうに希望を抱く人々が輝いて見えました。

プレスリーの曲のチョイスやタイミング、余韻、カメラワーク、脚本、出てくるキャラクターすべてが無駄がありませんでした。完璧です。

夢を見ることに終わりはない。
宇宙のように可能性は無限大である。

それは遠い未来に、遠い空の向こうで待っている。
Takaomi

Takaomi