Jeffrey

揺れる大地のJeffreyのレビュー・感想・評価

揺れる大地(1948年製作の映画)
5.0
「揺れる大地」

〜最初に一言、ネオレアリズムの超絶傑作。ヴィスコンティの長編映画としては唯一の未公開作品が私にとっては彼のフィルモグラフィ史上の最高傑作であり、私の最も好きなシチリア映画である。この息を呑むほど美しい格調高きモノクロームの風光明媚をいちど目にしたら一生忘れることはないだろう。オルミの「木靴の樹」が農村の貧困を描くなら、本作は漁村の貧困をえぐり出した傑作だ〜

冒頭、シチリアの漁村アーチ・トレッツァ。鐘の音鳴り響く。ヴァラストロ一家は代々漁業を営んできた。嵐の夜の仕事、兄妹、家族、仲介人、搾取、進水式、左官、祖父の死、失業、恋人、神秘的な岩山、海の波。今、白黒に映るとある一家の再出発までを映す…本作はジョヴァンニ・ヴェルガの小説"マラヴォリア家の人々"をルキノ・ヴィスコンティが1948年にモノクロームで監督した初期の傑作にして私自身彼のフィルモグラフィの中でダントツに好きな映画であり、この度BDにて再鑑賞したがやはり傑作である。これぞネオ・レアリズモと言う感じの、シチリアの漁村の一家を収めたドキュメンタリー映画で、アントニオ・アルチディアコノを始めとする出演者は皆が素人の現地民であり、台詞も全てシチリア方言が使われ、ヴェネツィア国際映画祭では国際賞を受賞し、1952年に英国映画協会が発表した「映画史上最高の作品ベストテン・映画批評家が選ぶベストテン」で第9位にランキングされた傑作だ。日本公開は半世紀が経ってからである。

この作品の画期的なところと言うのは、主人公のウントーニが、漁業に出た際に、もしかしたら左翼思想の人物と対面し、それに感化され団結を呼びかけ仲介人に反抗したのではないかと言ううがった見方と、その他に2つの側面があり、映画の前半の階級闘争とイデオロジカルな社会変革のドラマとして成り立っていることだ。そして映画の後半の家族崩壊のドラマ、敗北者のドラマでもある。敗北者と言えば後の60年の「若者のすべて」で嫌と言うほど味わう。といってもこの作品の敗北感も凄まじいものである。あまり言ってしまうとネタバレになるが、家族は崩壊になり、、次男は故郷に見切りをつけシチリアから去ってしまい、長女は恋人とは結婚不可能になってしまい、家を抵当に入れて銀行から融資を受け、独立自営の漁に出るが、嵐の日に当たってしまい、すべてを失い家は銀行に差し押さえられてしまうと言う地獄絵図が垣間見れる。ただゲセないのは、この作品はドキュメンタリーとして当初描かれようとしていたが、半ばセミドキュメンタリーっぽくなっていて、途中で祖父が死ぬ場面があるのだが、これはこの撮影期間中にたまたま偶然なくなってしまったのだろうか?だとしたら映画的にプラス(非常に不謹慎な言い方で誠に申し訳ないが)になったのか…と。



いきなり余談だが「ニュー・シネマ・パラダイス」で有名な監督ジュゼッペ・トルナトーレが、上記の作品のー場面に本作を映画館で上映しているシーンを取り入れている。彼もシチリアを舞台にした作品を多くとるが、シチリアは彼の出身地でもある。それと後に「黒い砂漠」でパルムドールを受賞したロージが助監督として裏方にまわっている。フランコ・ゼフィレッリと共に。今思えば大富豪の家に生まれたヴィスコンティが、シチリアの漁村に住む貧困層に目をつけたのもなかなか面白い。そもそも48年と言うのはクルーゾーの「娼婦マノン」に始まり、デ・シーカの「自転車泥棒」も公開された時代である。という事は、この48年と言うのはネオ・レアリズムに燃えたぎっていた時代だったのだなというのが明らかにされる。確か評論家の淀川氏も言っていた。そして「揺れる大地」はシチリアにオールロケをもって、しかも出演者を漁村の素人を使用したと言うのも面白い。そして後の「山猫」で完璧主義を見せつけたヴィスコンティが本作からも徹底主義を作り出していた。


貧困層で言えば後のドロン主演の貧しさがその一家を苦しめる「若者のすべて」でも炸裂している。そういった社会的に地位の低い人々を捉えつつ、後に監督がシフトするのはオペラの豪華さである。1953年に「夏の嵐」57年に「白夜」そして先ほども言った63年「山猫」など全てが豪華絢爛な華麗なる映画である。そうするとヴィスコンティは愛するが故に苦しまねばならない悲劇をとことん追求していることに気づく。そして「ベニスに死す」から監督されていく「ルートヴィヒ」「家族の肖像」「イノセント」に見受けられる人間敗北と言うのも彼の1つのテーマになっていた。これらを気づかせるのが彼の作品を一気に見ることが重要であった。今回全てヴィスコンティとフェリーニの作品をBDで再鑑賞しているのだが、やはり同じ監督の作品を連続して集中してみると様々な事柄に気づくので非常に勉強になるし面白い。

シチリアは地中海の中心に位置する、地中海最大の三角形の島である事は有名だろう。北側はティレニア海、東側はイオニア海、そして南側は地中海に面している。地中海を隔てた南は、アフリカである。荒々しいは肌を見せる岩山。エトナ山やサボテンの1種のフィーキディンディア、古代ギリシャ神殿、古代ローマの円形競技場。イスラム時代の面影を残す教会、シチリアにはイタリア本土では見られない雄大な自然と重層的な文化があるとのことだ。シチリアの歴史は異民族支配の歴史であり、そうした特殊な歴史から重層的な文化が生まれた。そしてこの作品は没落した漁師の威厳を捉えている。そういえばシチリアを舞台にしているイタリア映画でダヴィアーニ兄弟の「カオス・シチリア」はシチリアから多くの作家が排出された代表格の1人であるルイジ・ピランデッロの短編集の映画化である。そうするとヴィスコンティもシチリアから生まれた大作家の2人から本作と後にパルムドールを受賞する「山猫」を映画化している。どちらにもシチリアの風土や自然、歴史が物語の背景に描き出されている。さてここから物語を説明していきたいと思う。



さて、物語はシチリアのカターニャに近い小さな漁村、アーチ・トレッツァ。夜明けに漁師たちの船が徹夜の漁から帰ってくる。その中にはヴァラストロ家の男達がいた。祖父、長男ウントーニ、次男コーラ、三男ヴァンニ、そしてまだ幼い四男のアルフィオ。一方、ヴァラストロ家では、マーラとルチアの姉妹が、兄弟たちの帰りを待っている。一家の長男は働き者であったが、漁師たちが仲介人の不当な搾取に惨めな生活を強いられている事に我慢がならなかった。彼の唯一の楽しみは漁の合間に恋人のネッダと逢うことで、金を貯めて彼女と結婚することを夢見ていた。夜になると、漁師たちの船は再び漁に出た。ウントーニは、祖父を説得して祖父に代わって漁の競りに行くことになった。だが、翌朝またしても仲介人の不当な買い叩き。彼は怒り、仲介人の秤を海に投げ込む。たちまち漁師たちと仲介人たちの間で乱闘が始まり、駆けつけた憲兵に彼らは逮捕された。仲介人たちは、ウントーニたちが逮捕された後、漁の収穫が減ったことに気がついた。

そこで、訴えが下げられ、ウントーニたちは釈放された。だが、ウントーニの仲介人への反抗心を抑えることができなかった。彼は家族を説得し、家を抵当にして銀行から融資を受け、独立自営の漁を始める。1ヵ月後、鰯の大漁でウントーニは幸せだった。独立自営の漁は成功し、恋人ネッダともうまくいっていた。彼は鰯を仲介人に売らず塩漬けにして値が上がるのを待った。一方、ヴァラストロ家の成功に長女のマーラに心を寄せる貧しい左官のニコラは、マーラとの結婚が遠のいたように感じるのだった。ある嵐の夜、ヴァラストロ家の兄弟達は、いつものように漁に出た。だが激しい嵐にヴァラストロ家の漁船は痛め付けられ、ウントーニたちは九死に一生を得て岸に戻った。漁船は壊れて漁具を失ったヴァラストロ家の兄弟たちは、もはや漁に出られなくなり、失業者となった。そして塩漬けにした大漁の鰯の樽は、仲介人に二束三文で買い叩かれ、家は銀行に差し押さえられた。

ウントーニはネッダに去られ、次女のルチアは巡査部長のドン・サルヴァトーレに身を任せ、コーラら密輸商人と島を去り、祖父へ病気になって病院に収容された。今や没落したヴァラストロ家の人々は、あばら家に引越した。ウントーニは毎晩、酔っ払い、マーラは左官のニコラと別れを告げた。仲介人の新しい漁船の進水式の日、ウントーニは、今は人手に渡った修理中のヴァラストロ家の船を見に行った。1人の少女、ローザは、打ちひしがれたウントーニを励ます。ウントーニは再び漁に出る決意をした。そして弟のヴァンニと幼いアルフィオを連れて、再び仲介人の船で漁に出るのだった…とガッツリ説明するとこんな感じで、漁村の漁師たちとの会話から生まれた作品で、劇中に出てくる2人の姉妹の黒いショール姿はレオナルド・ダヴィンチの聖母像と似ていてビビる。


いゃ〜、19世紀末から今世紀末初頭の貴族社会を華麗に格調高く描いてきたヴィスコンティの初期作品ここまで貧困にフォーカスした美しい映画が誕生したことに喜びを感じる。誰しも思うことだが、貴族の世界を描くことにかけてヴィスコンティの右に出るものはいないだろう。強いて言うならサイレント時代の巨匠シュトロハイム位だ。きっとヴィスコンティは本作の主人公たちが故郷を捨てて大都会といっても貧困生活は続くことを「若者のすべて」で映しているんじゃないだろうか。こっちはボクシングで生計を立てている兄弟の話だし、家族は過酷な運命に見舞われていく。だが自分的にはやはりど素人を扱った本作の方が好きである。アラン・ドロンを始め、フランスのスターなどを起用した「若者のすべて」も嫌いではないが断然「揺れる大地」の方が好きだ。


オルミの「木靴の樹」が貧困な農村の話で地主に搾取されて、その土地を泣く泣く出て行かなくてはならなくなる映画であるならば、この作品は漁村の貧困を捉え、働いても働いても仲買人に搾取され、悲惨な生活に甘んじなければならない漁村の漁師たちを描いている。しかし、その2つの作品の違う点は、前者は口答えせずにそのまま去っていくのだ。しかし後者の方は、長男が仲買人に反旗を翻し、全財産を抵当に入れて独立自営の漁を始めるのである。そもそもヴィスコンティがこの作品を撮ることになったと言うのが、1947年の共産党の財政的援助でシチリアで漁師についてのドキュメンタリーを撮ることになった彼が、ドキュメンタリー映画に飽きたらず、この映画は次第に壮大なドラマへと発展するような運命をたどったのである。この時、常にヴィスコンティの脳裏にあったのが、シチリアの貧しい漁師の家族の物語(原作者の話)だったそうだ。

そして「揺れる大地」には"海の挿話"と言うサブタイトルが漬けられているが、ヴィスコンティは当初、このサブタイトルのほかに鉱夫と農夫についてのドキュメンタリーの三部作を構想していたそうだ。ところが他の2部は実現せず、海の挿話のドキュメンタリーが原作を下敷きにした叙事詩に発展したのだ。ドキュメンタリーを撮るはずだったので、スタッフは、極めて少人数で、たったの18人で、しかもクレーンやドリーなどの撮影機材もなかったらしく、制作費の600万リラは、たちまち底をつき、資金不足のために撮影はしばしば中断されたとのこと。そのため、ヴィスコンティは金策のためにローマとミラノを往復し、証券や宝石を売って制作費を捻出した。それでも製作資金は足らず、万策尽きたとき、シチリア出身のプロデューサーでスペクタクル史劇「ファビオラ」や後にヴィスコンティの「ベリッシマ」を手がけるサルヴォ・ダンジェロがこの作品のプロデューサーを引き受けてくれたそうだ。

初期のネオレアリズム映画の多くが、そうであるように「揺れる大地」の出演者全員が素人で、実際にシチリアのアーチ・トレッツァの村人から選ばれ、実際に漁師であり、あの姉妹は、小さな料理屋の娘だったとか。この映画にシナリオはなく、ヴィスコンティは彼らに人物が置かれた状況説明し、彼ら自身の口から発せられた反応を、そのままセリフに取り入れたそうだ。セリフは全編、シチリア方言で、標準イタリア語とは遠く離れた方言によるセリフは、本土の観客にも理解できないためナレーションが入っている。このナレーションで台本を担当したのは、ヴィスコンティの前作「郵便配達は二度ベルを鳴らす」で助監督を務め、脚本にも参加したアントニオ・ピエトランジェリである。彼は後に監督となり、「3月生まれ」「気ままな情事」などの作品を撮り、68年に撮影中、事故死した事は有名だろう。ナレーターは、フェリーニの「8 1/2」などのマリオ・ピス。

本作の非常に美しいモノクロ撮影はマルセル・カルネやコクトーのスチールカメラマンをしていたが、アントニオーニの紹介で、この作品で初めて撮影監督となったG・R・アルドであり、彼の圧倒的な撮影技術には息を呑むほどだ。残念なのがヴィスコンティの「夏の嵐」の撮影中に、交通事故で亡くなっていることだ。私の好きなデ・シーカの「ウンベルトD」も撮影していた。それにしても滅びゆく者を描くのがどちらかと好きなヴィスコンティが本作ではポジティブな人間たちを描いている。やられたらやり返すの戦略方法が主人公のとった策略の1つであったし、自分たちだけで商売をやってしまうと言う事柄も面白い。


私個人が印象的に残った場面は、まず冒頭の解説文で、イタリアの貧しい人々はイタリア語を話さないと言う字幕に結構衝撃を受けた。そして夜明けの港町で大声を出しながら
秤をくれーと叫ぶ男たちのシルエット撮影、遠くの岬を固定ショットで長回しするのも素晴らしく良い。シチリアの地政学的な形はいびつで、海に浮かぶ小さな岩の山のようなものが幻想的で、まるで別の宇宙を見ているかのような感覚に陥る。そんで石造りの家が所狭しに寄り添っている家家も原始的で、その室内も基本的にコンクリートの殺風景な壁に、宗教的な写真が数枚飾られたりしているだけで、ミニマムである。これはいかに貧困生活をしているかを表しているのかもしれない。女性たちが家の掃除をしているのは、男たちが海に漁業しに行ったからで、男達の帰りを待っていると言う構図だ。今でこそ男は外へ仕事、女は家で家事と言うのは、あり得なくて、アップデートしなくてはいけない世の中とは打って変わって当時のあるべき姿が見れる。

この映画に出てくる人々は素朴で、この小宇宙の中で必死に互いに協力して生きているんだなと思わされるシーンがあり、少女が重たい台車をひとりで引けなかった為、浜辺で遊んでいた小さな子供たち数人に助けてもらって、坂道などをみんなで押してる場面など印象的だし、主人公の長男は、正装に着替え、彼女にうつつを抜かし、仕事に励んでいる場面の芝居等は俳優並みにうまく、見た目も役者っぽい。これがドキュメンタリーとしていいのか悪いのかはさておき、とにかく力強い表情が良かった。あの風の強い岸で海を眺める女性たちのショールを巻いたショットはすごく神秘的である。そしてクライマックスの、嵐で廃船した自分の家同然の船を修理している所にやってきたウントーニの切ない眼差しが何とも言えない。

私もそこまでかじっているわけではないため多くは語れないが、ヴィスコンティは19世紀フランスやロシアの文学にはまっている事は誰もが知っていることで、その中でもヴェルガに興味を持ち、彼は19世紀イタリア文学の流れ、ヴェリズモ(真実主義)の作家として知られているようで、彼は、フランスの自然主義文学の影響を受けたリアリズム文学である。これらの影響受けたヴィスコンティが今はシチリアの方言も消滅しつつある現在で、それらを取り扱った貴重な記録フィルムとしてこの作品は未来永劫残していかなくてはならないと勝手ながらに思う。イタリアに旅行に行った際は、シチリアには必ず行きたいと思っている。というか、シチリアの方言ってもたい消滅してしまっている可能性もあるだろうなぁ、今ではシチリアではイタリア語が全然通用するとの事だし…。

最後に余談だが、この作品が撮影が開始されたのは1947年11月2日なので、この日は監督の誕生日の日である。という事はヴィスコンティの誕生記念にクランクインしたと言うことだ。クランクアップは48年の5月26日。さて長々とレビューしてきたが、この作品のクライマックスは非常に余韻が残るものである。ネタバレになるため詳しくは言えないが、ヴィスコンティによる敗北者の描き方が毅然としていて素晴らしかった。誰も彼を最終的に助けてくれないが、船大工の幼い娘ローザの一言でこの映画は救われただろう。そして残された小さな2人の弟を連れて仲介人の下に仕事をもらいに行くウントーニの後ろ姿、一緒に仲介人の船に乗り、オールを漕ぐ場面で幕引きとなる海面のショット、オールを漕ぐ音、なんとも余韻が残るラストだったのだろうか…。まさに傑作中の傑作の超傑作である…。
Jeffrey

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