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キプールの記憶のnetfilmsのレビュー・感想・評価

キプールの記憶(2000年製作の映画)
3.8
 冒頭、主人公の男が歩く様子を3つのロング・ショットでつなぐ。カメラは据え置かれ、街にはほとんど人がいない。今日は「ヨム・キプル」という名の贖罪の日であり、ユダヤ教徒は飲食、入浴、化粧などの一切の労働を禁じられる。アラブ系イスラエル人はともかく、ユダヤ系イスラエル人が居住している地域の公共交通機関や、あらゆる企業や商店などは閉店をしており全く機能していない。今作の主人公も恋人との濃厚なSEXに興じるが、再び街路に出た瞬間、けたたましいサイレンの音と共に、軍用車が狭い路地をかけていく。このファースト・シーンの不穏さがやがて今作を覆い尽くす。1973年10月6日、イスラエルでは第四次中東戦争が勃発した。ユダヤ暦で最も神聖な日である「ヨム・キプール」の油断をついて、エジプト、シリア両軍はそれぞれスエズ運河、ゴラン高原においてイスラエルへの攻撃を開始した。奇襲は功を奏し、最初イスラエルは劣勢に立たされるが、やがて形勢を盛り返し最終的には両者痛み分けとなる。旧ソ連軍はエジプト、シリア両軍に対し武器・兵器の提供を行い、戦争を有利に進めるものの、後にアメリカ軍がイスラエルに武器・兵器の提供を行い、冷戦構造の代理戦争の様相を呈する。これはアラブによる初めてのイスラエル侵攻であり、合計約19,000人のエジプト人、シリア人、イラク人およびヨルダン人もこの紛争で死亡した。

 当時23歳だったアモス・ギタイは実際にこの戦争に兵士として駆り出された。今作は監督の自伝的物語であり、ここでの苦い思い出が映画監督としての出発点となった。ギタイ自身を想起させるワインローブ(リオン・レヴォ)は、友人ルソ(トメル・ルソ)とゴラン高原を車で走っていると、エジプトとシリアの連合軍がイスラエルへの攻撃を開始したため非常事態が宣言されたことを知る。峠を越えようとしたところでイスラエル軍の停止命令を聞く。車外では砲撃音が鳴り、兵士は半ば強制的に彼らをUターンさせようとする。ドキュメンタリー・タッチの演出は一気に緊迫感を煽る。彼らの仕事は戦地へ赴き、イスラエル軍の負傷兵をヘリコプターで移送する役目であり、砲撃の合間を縫い、5人がかりでタンカーに乗せ、付近に停留しているヘリコプターまで運ぶことである。その戦場はコンクリートで舗装された道路など一つもなく、戦車が通ったことで土はぬかるみ、彼らの歩行を阻む。彼らの任務は死体を運ぶことではない。あくまで息をしている兵士を野戦病院に担ぎ込むことが義務であり、息をしていない自軍の兵士を何十人も見送りながら、極限の状況で作業を続ける。

 『ケドマ 戦禍の起源』同様に今作には敵の姿は一切見えない。おそらくこれまでのような戦争映画を期待した層にはそこが物足りない。そもそも彼らは兵士であるが、最前線に立つ兵士ではない。最前線で倒れた兵士を救助することが彼らの任務であり、エジプトやシリアの兵士と銃を持って対峙することはない。ここにあるのは、負傷者を起こしタンカに乗せ、5人で連携して持ち上げ、足元が悪い中をヘリコプターへ運ぶ作業の無限ループである。兵士たちは自分で歩くことが出来ず、這うことも出来ない。彼らは敵の銃撃を受け、おそらく骨折している。もっと酷い兵士は血液が流れ出たところが化膿し、壊死する危険性さえある。その場で処置する必要があるかの判断はクロイツナーに委ねられ、時には戦場の只中でそこに何分も止まらなければならない。最前線に立つ兵士とはまた違う極限状態がそこにはあり、ドキュメンタリー・タッチの長回しが永遠に続くかのような苦しみを我々観客に与える。
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