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ヴァージン・スーサイズのnetfilmsのレビュー・感想・評価

ヴァージン・スーサイズ(1999年製作の映画)
4.0
 庭先でアイスを舐める4女の姿はふてぶてしく、どこか挑発的である。広い庭先に散水するのは母親の役割で、ふっくらした彼女は夏の草花に水をやる。道路を2人仲良く歩く犬の散歩。バスケットゴールに投げられるボール、その傍らでは父親がウィンナーを焼いている。姉妹たちが慣れ親しんだはずの庭のニレの木は市から「切断」の判定を受ける。初夏の6月の木漏れ日の下、化粧ボックスが置かれたドレッサーの無人ショットにふいに救急車のサイレンが鳴る。ソフィア・コッポラの処女作のオープニングはおおよそこのようなシーンで始まる。鳴り響いた救急車のサイレンの後、バスタブに浮かんだ少女の自殺未遂が起き、平和な町の人々は一家に好奇の目を向ける。病院に眠る少女の容体は安定しているが、先生からの呼びかけに「先生は13歳の少女じゃないから」と残酷なまでに突き放した言葉を浴びせる。今作の映画の語り手になるのはリスボン家の父母やテレーズ(レスリー・ヘイマン)、メアリー(A・J・クック)、ボニー(チェルシー・スウェイン)、ラックス(キルスティン・ダンスト)、セシリア(ハンナ・ホール)という美しい5人姉妹ではない。専ら隣家に住むうぶで純粋な少年たちの回想で明示される。美しい5人姉妹の様子は、夏の木漏れ日の光よりも美しく、ただただ残酷に少年たちを魅了する。

 25年前のミシガン州は、アジア系はおろか、黒人すら居住していない白人たちの城である。数学教師の父親ロナルド・リスボン(ジェームズ・ウッズ)を一家の大黒柱とする家族において、母親(キャスリーン・ターナー)はパートタイムの仕事すら必要としていない。エアロスミスやキッスのLPを買い求める姉妹の嗜好は、中流というよりは上流階級に近いリスボン家の暮らしぶりを伝える。プロム・パーティへの参加を最後まで悩み抜き、答えを出す両親の姿は典型的な敬虔なカトリックの厳格な家庭であると伝える。コロニアル様式の住宅、住居の真ん中に印象的にそびえる階段には、脱ぎ捨てられた下着、ビール箱に入れられた30cmレコード、メイクアップ道具など幾つものソフィア・コッポラの記号的な道具立てが何度も散らばる。ジェフリー・ユージェニデスが1993年に発表した『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』を題材とした物語は、自殺未遂に始まり、完璧な自殺で幕を閉じる。だが彼女たちの不可解な死は決して残酷ですぐに忘れられるものではない。ダンス・パーティで長机の裏でラックスとトリップ・フォンテーン(ジョシュ・ハートネット)が交わした濃厚なキスの瞬間は10ccの『I'm Not in Love』の調べに乗せ、永遠に交じり合う。人生最良の季節に母親から自宅謹慎を命じられた四姉妹、受話器越しに聞かせたGilbert O'Sullivan の『Alone Again (Naturally) 』やTodd Rundgrenの『Hello It's Me』、Carole Kingの『So Far Away』の淡い記憶だけが、少年たちにとって幻の少女たちの記憶をかすかに繫ぎ止める。
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