今日はクリスマスイブ。そして名古屋は大雪。
このシチュエーションに一番ふさわしい映画と言えば……『シザーハンズ』!
ジョニデとバートンが出会った作品という、二人にとっても、90年代の映画史においても非常に重要な作品です。
しかしこの作品、学生時代はその良さが分からなくて、他レビューの高評価に困惑していました。
「うーん、思ったほど心に響かない。観るのが早すぎたのか?」という感じで。
よりによってこの重要作で、「自分の印象と世間の評判が合わない」現象が起きてしまうとは……
それが今年9月に、急にバートン作品への熱が戻ってからというもの色々知識を仕入れ、作品の裏に込められたエピソードやバートン自身の背景を知ったわけですが……
ガラッと印象が変わりました。これ苦手な純愛ものとして観ていたから受け入れられなかったけど、それらの背景を知ってから観ると腑に落ちた。
ジョニデとの出会い、バートンの憧れのヴィンセント・プライスの遺作といったエピソードに加え、『バットマン リターンズ』共々、バートン自身が恐らく一番多感な時期だったからこそ作れた奇跡の一品。
それが本作なんじゃないかなと思います。
まず、エドワードの造形からしてもう言葉が出ないですよね。
両手がハサミだから、周りを意図せず傷つけてしまう。自身の顔も傷だらけで、まるで涙を流しているかのよう。石ノ森ヒーローの涙ラインに通ずるものがあります。
さらに心臓はハート形のクッキーで出来ているという。
これはバートン自身の「青春時代に感じた、周りから理解されず、何かに触れたり感じたりすることができない苦しみや悲しみ」という潜在意識から生まれたもの。
もうこの時点で痛ましいのですが、ジョニデの演技が迫真で……本当に今にも泣きそうな目、初めてのことや矛盾だらけで困った目……
吹き替えの朴訥とした声もまたマッチしててなぁ……
さらに生みの親の博士を演じるヴィンセント・プライスもまた、死にゆく演技が迫真すぎて息が止まる。
これでプライスのことを知った人も多いと思うけど、この演技だけでどうしてバートンが尊敬してやまないか分かってしまう。
そしてテーマ曲までもがもう痛ましいくらいに美しくて、初っ端から心を抉ってくる。
ティム……一体どれだけ胸の痛みを抱えながら生きてきたんだ?
(まあ、エドワードのキャラデザがあまりにもキャッチーすぎて、その後色々パロられるわけですが)
エドワードは丘の上のお城の出身ですが、そこは陰鬱なムードとは裏腹に、彼自身が築き上げた庭園を見ればまるで楽園のよう。
バートン作品では、現世と異界の境目は緩い。何たって化粧品のセールスレディが平気で入っていって、あっさり家に連れ帰ってしまうくらいですから。
それで気づいたんですけど、恋人のキムの出番が思ったよりも少ない!大体お母さんのペグが親身に付き添っている。
恋愛ものと言われている割には恋に落ちていく過程が殆どなくて、いつの間にか恋仲になってる……という感じ。
エドワードが意図せず物を壊そうが、大らかに受け入れる家族が微笑ましい。キムは最初家を離れていたこともあって受け入れるのに少し時間がかかっていましたが。
でも、ハサミ怪人がある日突然我が家に現れたらそりゃビックリするよね。
とはいえ、後半でエドワードを取り巻く状況がどんどん悪化してもどこか呑気な雰囲気だったのはイラっとする人もいそうですが。
トリミングに関して天賦の才能を持つエドワード。その奇妙な風貌もあって、あっという間に町中のアイドルとなり、テレビ出演も果たす。
しかし結局世間から観れば異形。その関係はあっけなく破綻する。
エドワードを町に連れ帰った時点ですら、近所の有閑マダム達のやり取りの嫌らしさよ!
あっという間に新しい男を連れ帰ったという噂が広がるのは、村社会の恐ろしさを見てるみたいだった。
多分、身近な人に潜む何気ない、無意識な悪意や攻撃性に物凄く敏感な方だったんだろうな、バートンは。
善悪の区別がつかない彼は家族の支えも空しく、次第に周囲に振り回されるようになっていき、ついには町民から命さえ狙われる。
(一応警官とか理解を示してくれた人もいたのですが……)
多くの作品で見られますが、純粋無垢な心を持つ異形は見る者の心を映す鏡。
もし出くわしたら、あなたは優しくすることができますか?そして、何があっても信じ続けることができますか?
そしてやって来る別れの時。
ジムの末路は、バートン曰く「中学高校時代への復讐願望」らしい。
彼自身、同窓会でスクールカーストトップだった層は皆学生時代がピークでその後落ちぶれ、逆にいじめられてた側は皆人柄が良くて出世したという光景を見たという。
と同時に、エドワードの自身の退路を完全に断つあの行動は、バートンなりの決意表明のようにも見える。
どんなに不完全だろうが、変な奴と言われようが、嫌われようが、絶対に妥協しないぞ!という。
ピノキオは人間になって終わるけど、本作は多数派に同化して“自分らしさ”を失うことをきっぱりと拒絶する。
さらにあの行動ができるようになったことで「悪」を得て、最も人間に近い存在になったという顛末は『人造人間キカイダー』を彷彿とさせる。
……日本の怪獣映画や特撮映画のマニアであるバートンだけど、これ見てると石ノ森作品からも影響を受けてるんじゃないか?実際どこまで知ってるのかわからないけど……
こうして、違う世界で生きる者同士が重なり合う時間は終わりを迎えた。
無垢だった心は散々傷つけられた。だけど、その時間はすべて無駄ではなく、美しいものもまたあったはず。
本来あるべき場所に戻ったエドワードは今も氷の彫像を作り続けている。その削れた氷が雪となって町に降り注ぐ。
おばあちゃんになったキムは、氷の天使の前で舞ったあの時を思い出しながら、孫に長い長い物語を語り聞かせる。
たとえずっと離れ離れになっても、その愛は終わらない。ああ、何て美しいんだ……
でも冷静になって考えると、究極の自己憐憫、ナルシシズムとも取れる終わり方。
これらは普段はマイナスイメージで語られますが、ここまで突き抜けられるともう、何も言い返せなくなる。もはや天晴れとしか。
音楽も、同じ美しさでもOPの痛ましさから打って変わって、全てが救われたような余韻に!そして何だろうあの解放感は!
それにしても改めて観直して、自分と世間の印象が違っていたという、長年の胸のつかえがようやく取れたようでホッとしました。
皆がこの作品を好き!という理由が、今ようやく分かったような気がします。
一方で、近年は多様性の受け入れが大前提となっているためか、異種族と人間の軋轢を題材にした作品(例:『シェイプ・オブ・ウォーター』や『あの夏のルカ』など)も、高確率で愛が成就したり和解が成立し受け入れられたりする結末になっています。
そのことを考えると、本作はかえって現代では作れない作品になりつつあるんじゃないかなと思います。