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フルメタル・ジャケットのMKのレビュー・感想・評価

フルメタル・ジャケット(1987年製作の映画)
5.0
ベトナム戦争を扱った映画を何本か観ていて、こなれた頃に観てやけにスタイリッシュな映画に映ったのを覚えている。…またもや動画にて再鑑賞。

フルメタル・ジャケット…完全被甲弾。
人をいたずらに苦しめることのないよう?戦争への使用を目的としてハーグ条約で定められた弾丸なのだとか…人を殺すため、文明的に人を殺すために洗練された兵器。そんなこと言えば日本刀なんかもそうだけど、精神性は異なる気がする。

そんなフルメタル・ジャケットが比喩なのか明確な意思表示なのかは分からなかったけれど、人間として扱われることのない、過酷な訓練の日々を過ごし、人格を否定され、殺傷能力だけを研ぎ澄まされていく青年たち。
個性も感情も押し殺され、規格化された彼らはそういう意味では都合のいい、戦争という制度下において、淘汰され、最適化された都合のいい量産兵器なのかもしれないななんて。

そんな大量生産された兵器は自らや家族の生命が脅かされることのない、国家の都合で生み出された敵国との戦闘の地へ。

戦局を俯瞰したような表現も兵士を通じた思想や社会風刺もなし。
劇中のカメラやインタビュー、フィルターを通じて見え隠れする兵士達の見栄や内心?あくまで客観的にスタイリッシュに…そんな劇中劇とでもいうのか、リアリティを感じさせない描写と兵士たちの表層的な会話が、リアルティの希薄な…というか当事者意識の低い戦争を語るツールになり得るのかもしれないと今回は妙に納得した。

自分に置き換えると少しだけ想像できる。ある日突然、見知らぬ土地で人を殺し合うことを強制され、何もかもが狂った世界に
いることなんて何かの芝居で達観した聖人か残虐な悪魔でも演じている気にならなければやり過ごせそうにない。

そんなリアルな像を結ばない朧げで、それでも人が死んでいく戦闘の中、初めて対峙する生身の人間、少女スナイパー。
born to killとピースマークという相反するシンボルを身にまとったジョーカーが彼女と向き合う終盤のシーンは、漠然としていた作品の中での戦争を一気に現実に手繰り寄せるようでやはり衝撃的だった。

そしてラストの必ずしも歓迎されていない命を賭した青年たちの行進。
もともと戦意を鼓舞する行進曲の中でもっとも平和的なミッキーマウスマーチ…我々日本人以上に幸福感に包まれた中で歌うことの多いであろうアメリカの青年たちが、この行進曲を口ずさみながら向かう先はどこで、この行進のリーダーは一体誰なのだろう?

例外なく少年期を過ごした彼らの行く先を想像させるこのシーンは、無益、無意味とも揶揄されるベトナム戦争とその犠牲になった若者たちに対するひとつの解釈のような気がしてきて、再鑑賞してよかったと思った。

でもやっぱり、surfin' birdは名曲だと思う今でも。
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