shibamike

フルメタル・ジャケットのshibamikeのネタバレレビュー・内容・結末

フルメタル・ジャケット(1987年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

小学校3年生の時、同じクラスに角川君という男の子がおり、自分は当時仲が良かった。愉快で野球の上手なグッドボーイだったのだが、いかんせん負けん気が強かった。未だに覚えているのだが、子どもがよくするような「こづきあい」を角川君が自分に仕掛けてきたとき、自分も「やめろや!」つってやり返す。しかし、この角川君、絶対に自分が一回多くこづいた状態でないと気が済まないバッドボーイで、永遠にやり返してくる。いつも自分が折れる形で決着はつき、悔しい思いをさせられた。ベトナム戦争を取り扱った本作を観終えた自分は映画館の座席に深く腰掛け、角川君とのこづきあいを思い出していた。
「やられたらやり返す」戦争とはまさに角川君と自分のこづきあいだったのではないだろうか。違う。

映画はアメリカ人の青年達が丸刈りにするシーンから始まる。「おや、アメリカン出家の話かな?もしくはアメリカン高校球児の話かな?」と思いたいところであるが、さにあらず。彼らは海軍訓練キャンプに入隊し、いずれ兵士となるため、頭を丸刈りにしていた。
青年達が丸刈りにするのを観ながら我々観客も彼らと一緒に戦争へ行くという心の準備。さらば恋人、ハロー、ベトナム。

そして、入隊したての彼らの前に現れるおじさんの見た目をした悪魔。鬼教官ハートマン軍曹である。彼の名前にこそ「ハート」とついているが、彼は思いやりで人々のハートを温かい気持ちにするのではなく、人類が言葉を発明して以来、考えられてきたありとあらゆる悪口を駆使して人のハートを粉々に砕く系の地獄の使者であった。しかし、本当に笑った。今まで観てきた映画の中でもトップクラスで笑った。鬼教官を演じたロナルド・リー・アーメイも素晴らしいし、あのおびただしい数の悪口を考えついた製作陣(原作?)には素直にスタンディングオベーションである。
悪口をマシンガンの如くぶっ放すハートマン軍曹であるが、しれっと悪口に紛れて良いことも言っており、彼の魅力にメロメロ。「憎めば学ぶ」という一言には思わずハッとした。あとは「殺しは鉄の心臓がやる」というのがカッコ良かった。
「俺はどんなヤツにも差別はしない」と言いつつ、全員をまんべんなくクズ扱いするという大岡裁き。とんちがきいてらぁ。
そして、「ほほえみデブ」というネーミングセンス(訳した人、天才)。Filmarks における自分のアカウント名をhohoemidebuに変えたいと思った。
ムスコをしごくという意味らしい「PT」はPhysical Trainingらしい。マジかよ(笑)

昔、フジテレビで日曜日の夜に放映していた「笑う犬の生活(冒険?)」のコントでウッチャンが誰かに向かって「てめえのそれは現代美術の醜さだ!」みたいなことを言い放ち、自分はメチャクチャ笑った記憶があったのだが、この「現代美術の醜さ」をハートマン軍曹がほほえみデブちゃんに言い放っており、元ネタあったんだ!ととても驚いた。(ネットで調べたら、熱心な笑う犬ファンの方がそのコントを文字起こししていた。「研修のメリークリスマス」というコントでウッチャンが名倉に向かって「お前は今日から、ラクダコオロギだ。お前の顔はひどい。吐き気がする。現代美術の醜さだ!」と言ったらしい。)

訓練キャンプの見所は、ほほえみデブちゃんの変化なのだが、ドジばかりして他のみんなの足を引っ張り、我慢の限界を迎えたみんなが夜中にほほえみデブちゃんをリンチしてしまう。この一件からほほえみデブちゃんは狂気に取り憑かれ、最終的にサイコキラーとなってしまい、ハートマン軍曹を射殺し、自殺してしまう。ハートマン軍曹でも射殺される直前には物腰が弱く見えた。ほほえみデブちゃん、安らかに。みんなが腕立て伏せする中心で自分もジェリードーナツを頬張りたい。

訓練キャンプ卒業後、いよいよベトナム入りする面々。ここからは終わりまでずーっと重苦しいドンヨリした雰囲気が付いて回る。爆発、銃撃、死体。息抜きはどギツイジョークと娼婦のみ。観客には素晴らしい音楽達のプレゼント。

米兵が不満を漏らす。「ベトナムのヤツらの態度は許せない。俺たちはベトナムを助けにやってきているのに。」米兵当人達は本気でそう思っていたのであろう。しかし、映画を観ている我々は「助けに来ている」という台詞に大笑いせずにいられない。逃げ惑うベトナム人達を「逃げる奴はベトコンだ。逃げない奴はよく訓練されたベトコンだ。」と笑いながらヘリコプターからとにかく射殺しまくる米兵。ベトナムの街を壊滅状態にまで爆破、銃撃しまくる米兵。米兵としては「ベトコンが攻撃してくるからだ」と言うだろうが、ベトナム人にしてみたら、米兵はベトナム人を大量殺戮し、ベトナムの街を破壊し尽くす悪魔にしか見えなかったであろう。アメリカがアジア圏の共産主義拡大を恐れていたことや南ベトナムの政治が腐敗していたことなど色々な要素が複雑に絡み合った結果の戦争だったにせよ、「ベトナムを助けに来ている」というのは罪深い認識である。正義の押し付け。

映画終盤、北ベトナムの敵軍が撤退しているのか確認するため、進軍するカウボーイのチーム。廃墟ビルから狙撃され、次々と仲間が殺されていく中、遂にカウボーイも殺されてしまう。怒りが頂点に達したジョーカー達は狙撃手に復讐を誓う。狙撃手の正体は1人の若い女性であった。勝手な想像であるが、彼女だって家族や友人など大切な人を米兵に殺され、復讐のためにベトコンになったのかもしれない。瀕死の状態で彼女が口にするのは祈りの言葉。自分を置いて考えた。南無阿弥陀仏を唱えるような気がした。

原作と映画ではミッキーマウスマーチの使い方が異なるらしいが、映画でのラストのミッキーマウスマーチは兵士達の狂気、癒しを求める気持ち、幼児退行など色んな感情がごちゃ混ぜになったように見えて、良かった。

やられたらやり返したくなるのが人情である。やられっぱなしはムカつく。この人情が戦争をどんどん加速させていき、大勢の悲しみを生む。どうすれば防げるのか人類の歴史上、誰もその方法を思い付けていない。人間が戦争をしてしまう生き物なのだったら、こら困りもんである。角川くん、お元気ですか?
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