ケンヤム

SR サイタマノラッパーのケンヤムのレビュー・感想・評価

SR サイタマノラッパー(2008年製作の映画)
5.0

「イタいよお前。宇宙人かよ。」
夢を追う人は、総じてイタい。
バカだし、滑稽だ。

それでも、バカにはバカなりの人生があるし、バカで居続ける理由がある。
この映画は、夢追い人たちの痛々しさ、滑稽さ、愚かさをしっかりと見つめた上で全てを肯定してくれる。

大人たちは、夢追い人たちをバカにする。
それもストレートにバカにするのではなく「正しさ」を押し付ける。
例えば
「ちゃんと働かないなんて、親不孝者ですね」
「夢なんて追ってないで、社会のためになることしなさいよ」
「やりたくないことをやるのが仕事ですよ」
などの「正しい」「大人の」考え方を振りかざす。
確かに、これらの言葉は正しいし、大人の合理的な考え方だ。
だけど、「創りたい」とか「表現したい」という人間特有の欲求は、そもそも非合理的な欲求であるから「正しさ」とか一種の合理主義とは無関係な次元の話だ。
表現者たちは「正しさ」に負けてはいけないのだと思う。

表現したいという気持ちは誰にでもある。
しかし、今の世界は表現しようとする人たちには厳しい社会だ。
だからこそ、ラッパーに限らず表現者たちはその現実と闘わなくてはならないし、そこからしか新しい表現は生まれ得ない。
表現の歴史は、反動の歴史だ。
何もかもを受け入れた上で、それに反抗するところからしか新しい表現は生まれない。

主人公には言いたいことがなかった。
毎日、新聞を見て「スケールのでかい理不尽」を探す。
「スケールのでかい理不尽」にはリアリティがなく、表現にはなり得ない。
主人公は、様々な「半径1メートル以内の現実」に晒されることによって「言いたいこと」を見つける。
それを、ラップとして全て吐き出したのがあの居酒屋でのラストシーンなのだと思う。

誰にでも、言いたいことがある。
誰にでも、叫びたい時がある。
でも、この世界は言いたいことを言えるようにできてないし、叫びたい時に叫べるようにはできていない。
だから歌がある、絵がある、文学がある。
リズムに乗せるのだったら叫んでもいい。
白いキャンバスには何色の絵の具をのせようと構わない。
原稿用紙には何を書いてもいい。
私たちは、表現を通して何者にでもなれる。


「サイタマノラッパー」という映画は、表現者たちの滑稽な姿を描くと同時に、表現すること、し続けることの大切さを教えてくれる。
自分の中で特別な映画のうちの一本になった。


見終わってから三十分。
もうあいつらに会いたい。
ケンヤム

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