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不連続殺人事件のshishiraizouのレビュー・感想・評価

不連続殺人事件(1977年製作の映画)
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3度チャレンジして3度挫折した映画。

亡くなる直前に出版されるが、嘘と捏造だらけと『週刊読書人』『映画芸術』『シナリオ』などで問題視された『曽根中生自伝 人は名のみの罪の深さよ 』。プライベート部分はおいといて、作品についてはどうでしょうか。

○脚本について
〈シナリオのだいたいの部分は、陽造さんが書きました。大和屋さんは、その時忙しかったんです。〉と曽根監督がインタビューにこたえていることに対して、
『週刊読書人』での検証座談会で
荒井晴彦は、
〈忙しかったのは田中陽造さんだった。その頃は陽造さんが売れっ子で東映京都に通っていた。だからシナリオの頭のペラ十枚くらいで、これは内田裕也と夏純子のラブストーリーだと方向付けをして、京都に行ってしまった。あとは俺と大和屋さんが神楽坂の旅館に籠って書いた。と言っても、大和屋さんは()パチンコばかりやっていて全然書かないから、質はともかく物理的に一番書いたのは俺だった。〉と異議をとなえる。

田中陽造はその著作で、
〈共同脚本に大和田竺を頼んだ。しかし大和田さんは、ひどく鬱屈していた。()不機嫌な大和田さんにぶつかったのは初めてで、ぼくはとまどった。()そのショックが強くて、初めて出会った荒井晴彦や齋藤博の印象は薄かった〉と回顧している。

○内田裕也について
こちらは嘘というかんじでもないが、なんか違うかんじがある。
曽根→
〈最初、若山富三郎さんとか、渡哲也とか、いろいろな名前があがっていた()渡哲也は金の問題()荒木一郎は、長い時間、電車に乗れなくて東京から離れられない()その内に、誰が言い出したんだったか忘れたんですけど、「裕也さんならいいな」ってことになったんです。それで話をしたところ、裕也さんがものすごく乗ったんです〉

内田裕也→
齋藤博と荒井晴彦が第2回ニューイヤーズワールドロックフェスの時内田裕也の前に現れる
「何の用だよ」
「映画に出ていただけないか」「どんな映画だ?」
「あの無頼派・坂口安吾原作で」
「誰に断られて俺のとこ、来たんだ?全員の名前言わなきゃ俺、受けないよ」
六本木のイタリアン
「最初、小林旭さんに声を掛けました」
「まだ他にもいるだろ?」
「若山さんにも」
「まだいるな」
「(二代目)中村吉右衛門にも」
「これはマズい。根本から発送を変えなきゃいけない……そうだ、ロックンロールだ!()そう思って来ました」
「そうかよ。言っとくけど俺、芝居なんてやったことないし、下手クソだぞ」
「実はもう、クランクインしてるんです」
「オイ、ちょっと待てよ!おかしいじゃねえかオマエ、俺が犯人役なのにもう、クランクインしてるって?」
〈ロケしてた新潟まで行ったんだ。そうしたらみんな旅館で雑魚寝してて、弁当は握り飯と豚汁だけって貧乏な現場でな。〉

『週刊読書人』に撮影時のエピソードもあり。
野村正昭「()スケジュールが押して、田村高廣さんが別の仕事に行かなければならなくなった。でもまだ出演部分を撮り終えていない。帰られては困るから「(田村さんの)車をパンクさせろ」と、曽根さんが助監督に命じた(笑)。曽根さんに聞いたら、否定はしていましたが。」
荒井「あの時は本当に齋藤博がパンクさせたんだ。()「あの時代はアスファルトじゃないよな」と、俺を呼びつけて言うんだ。で、「待ってください」と道に土をまく。でもカメラを覗いてみると、道なんて入っていない。田んぼのシーンを撮っている時も、「夏のシーンなのに、なんで稲が黄色いんだ」と言いはじめた。「曽根さんが撮るのが遅いからですよ」とはさすがに言えないから()田んぼに入ってスプレーで色をつけましたよ()」

『自伝』では、田村をいちばんヘタクソ扱いしているが、ビックネームで好き勝手にコントロール出来なかったからなのかも知れない。素人を使うのが好きなのはSというかパワハラ志向だったからなんでしょう
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