kyon

ストロベリーショートケイクスのkyonのレビュー・感想・評価

3.5
様々な背景を持つ女性を描いた作品を観るとき、大体2つのパターンに分かれる。

1つは、そのうちの誰かに感情移入して、自分を投影するパターン。もう1つは、誰か1人ではなくて、それぞれの女性の断片がふとしたとき重なって、人間の多面性を感じるパターン。この作品は後者だった。

デリヘルの秋代、その電話番をする里子、OLのちひろ、イラストレーターの塔子。

漫画原作だけど、細部にある描写が丁寧で、こう映したいとかこう撮りたいとか、監督の目線が見えてきていいなぁと思いながら観る。

例えば、かんざしのように使われる塔子の筆やトイレでパンツを下ろしながらスニーカーを脱ぐ里子の仕草、ちひろのピンクの勝負下着、秋代のラフなTシャツにジーパン姿。

あとは時代が見える携帯の形や音、ファッション。部屋の家具の感じや台詞たち。

「誰かの女になりたいです。」
「スペシャルな人のスペシャルになりたい。」
「恋でもしたいっすね〜」

(池脇千鶴が出てる作品は観ちゃうよね。)

どれも、1つ1つははっきりしないけれど、全体を通してみると作品の輪郭を成している。


映画の彼女たちはすごく、曖昧な表情、心情を見せる。
日常の中の物事に憤り、哀しみ、いじらしくそれを隠す。

そういった、女性たちのプライベートを映そうとした作品のような気がする。

特に塔子の吐き出す行為は観ていて苦しかった。それは作家としてある意味自らの中から吐き出す行為と重ねられているような気がして、そんな彼女が作者自身であり、さらに”ただ自分の作品を大切にしてほしいだけなんだ”とふいに口にしたから。

ああ、わかる。

大切にしたい、されたい気持ち。

だから彼女の作品が里子に見つけられ、秋代のもとにたどりついて良かったと思う。

ふう、2時間観るためのエネルギーを使う作品だった笑