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エスター・カーン めざめの時のnetfilmsのレビュー・感想・評価

3.8
 19世紀末、ロンドンの貧しいユダヤ人街で育ったエスター(サマー・フェニックス)は、自分の殻に閉じこもる無口な少女だった。ある日劇場に芝居を観に行った時、エスターは女優になろうと決意する。街角の壁に貼ってあった代役募集の張り紙を見てオーディションに合格した彼女は、台詞がたった2行の端役から女優への道を歩み始める。アイリスの多用とクライマックス・シーンのサイレント演出は、かつてのサイレント映画を彷彿とさせる。前作『そして僕は恋をする』ではシャワー室、証明写真ボックス、暖房の下など、進んで奥行きのないところに登場人物を配置したエリック・ゴーティエのカメラも今作では一転して奥行きを生かした流麗なフレーム・ワークで魅せる。特に初めて観劇した舞台のシーンが素晴らしい。3階席から見下ろす主人公の視線、1階席からロー・アングルで据えられたカメラ、パン、ティルト等のプリミティブなフレーム・ワークがダイレクトに胸を打つ。ステディカムへの自由自在の往来も実に魅力的に映る。前作『そして僕は恋をする』は画面がスタンダード・サイズだっただけに、ビスタ・サイズのフレームも見逃せない。

 幼少時代、兄弟たちの中で決して目立つタイプではなかったエスターが、やがて主役として舞台に立つまでの数年間の成長を誠実なタッチで描いたデプレシャンの文体が心地良い。老いぼれた俳優ネイサン(イアン・ホルム)のこれ以上ない優しいメンターぶり。彼のアドバイスを真っ直ぐに受け止め、少しずつアクトレスの階段を昇っていくエスターだったが、彼女は自分の女優としての才能に思い悩むことになる。そこで女優ならば恋をすべきとネイサンに提案され、純粋なエスターは、批評家で翻訳家のフィリップ(ファブリス・デプレシャン)を恋の相手に選ぶ。このヒロインの揺れ動く心の葛藤をデプレシャンは丁寧に描写している。女優としての決意は淡い恋心と溶け合い、やがて処女喪失へと至るのだが、芽生えた独占欲や嫉妬は、男にとって愛の重みでしかない。ここでサマー・フェニックスの恋敵になるのがエマニュエル・ドゥヴォスであるのも見逃せない。前作『そして僕は恋をする』では10年間主人公に献身的に尽くして来た女を演じたが、今作ではそれとは一転して、イタリア系のファム・ファタールのような闊達な女を演じている。

 恋の病をこじらせ、やがて破滅に至る悲劇のヒロインは、かつてフランソワ・トリュフォーが『アデルの恋の物語』で描いている。サマー・フェニックスは、あの時のヒロインであるイザベル・アジャーニに肉薄する演技を見せている。特に自傷シーンの生々しさや割れたガラスを口に入れる終盤の場面の衝撃が目に焼き付いて離れない。彼の作品の中にはアメリカ映画への憧れとともに、フランス・ヌーヴェルヴァーグへの強い尊敬が滲む。
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