クロ

長距離ランナーの孤独のクロのレビュー・感想・評価

長距離ランナーの孤独(1962年製作の映画)
4.1
子供心にランナーなんて因果なものだと思った。じりじり灼けつく晴れの日も、風でも雨でも雪の日も、モルモットみたくぐるぐる飽きもせずおなじ路を駆け回り、酸欠でままならない頭であと何周か指折り数える。コーチからは勝て抜かせ一秒でも早くと急き立てられ、たいがいゴールでは張り手やら蹴りのお出迎え。相手の後ろにピタリとついて向かい風をやりすごそうとか、ふふんこいつ顎が上がってきよるよ今が攻めどきとか、夜陰に乗じて肘打ち入れたれとか、慈愛心のかけらもない。疲労の限界の日々で体はあちこちガタピシ。スタートのことを考えるとお腹がしくしくする。これは一体なんのプレイなのだ、ありふれたものを砂漠の泉のように愛でるための修行なのか、、と。

そんなころに原作を読んだ。はは、スミス君はお仕着せの勝負から遁走するのか。愉快。僕らの勝負を肴に物見遊山で賭けにでも興じているこざかしい大人たちに最後っ屁をかます。愉快。そう思ったはずだった。

それから随分な時を経て映画を見た。スミス君の怒りにシンクロできなかった。今の私なら抱えている問題は小分けにして解くか、妥協点を探して安寧を選ぶだろう。まして原作には無い恋人まで現れる。オードリーと砂浜を寄り添って歩く後ろ姿、その先で朝日が雲間から斜めに差すところ、美しいじゃないか、リア充じゃないですか、これ以上何を望むのだスミス君。汚れちまったかなしみ。

それでも憶えている。黎明ひとり駈け出して、誰も手を付けていない空気で肺を満たし、木立を見やり、畦を踏みしめる時の、独りあることに何の過不足もない世界と一体になるような感覚を。
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