Shiny太田慎一郎

バベルのShiny太田慎一郎のレビュー・感想・評価

バベル(2006年製作の映画)
4.9
【古代神話を現代へ】

バベル。それは、ユダヤ教の「旧約聖書」創世記11章に出てくる町の名前。
そこでは、共通の言語を話す人々が、神に限りなく近い天まで届く"バベルの塔"を作っていたが、神はよく思わず、人々を別々の言語を話させるようにし、世界中にバラバラに散らせた。そして世界の人々は互いに意思疎通できなくなった。

という、神話ではあるが、逆説的にそれを現代の神話に置き換えたのが、今作である。

3つの場所で話が進むが、その3つの関係にこの作品の「意思疎通」のテーマがあるのではなく、それぞれの場所でしかも同じ言語でも「意思疎通」できないのだ。

例えばモロッコでは、ブラピが、撃たれたケイト・ブランシェットをいち早く助けようと救急車を呼ぼうとするが、既に世界中でニュースとなり(しかもそれは皮肉にもラストの日本でのテレビのシーンにあるように、別の話題があれば直ぐに切り替えられ人々はすぐ興味を失うのだが...)、大使館からは「政治的な問題とかなんやら」で救急車をすぐには呼べないと告げられる。

メキシコでは、もはや言語うんぬんというより、アメリカとメキシコという国レベルのコミュニケーションにおいての「移民」問題が描かれている。(ベビーシッターのおばはんは善良な人だが、不法移民である。)

日本では、菊地凛子演じるチエコが、母を失ってから、距離が遠くなった(と思われる)父との関係での疎外感だけでなく、社会に生きる聾の人として、普通(この表現は嫌いだが)の人々と同じ感受性が得られないことからの疎外感が描かれている。

つまりこの作品では、一貫して「現代のバベル神話」を描いているのである。それは決して言語の違いだけでなく、政治的な社会背景や、都市社会としての人間性の破壊が人々の「意思疎通」をできなくしているのだ。


そしてこの作品を悲劇へ導くのが、家畜を守るためにある道具だったのに、同時に殺傷能力を持ってしまった「銃」だ。
モロッコで、あの2人兄弟に子供のお兄ちゃんが誤解によって(今作品で唯一)死んでしまうシーンが恐ろしくも現代に実際起こっていることなので、ショックだった。


この作品をブーブー言ってる人は、作品のタイトルの意味や背景を理解していないか、好きじゃないか、バカのどれかだと思う。

傑作だと思うのだが。

「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」の監督ならではの、繊細でショッキングな人物描写は美しかった。

ちょうど倫理で学んでいる内容で、興味深かった。