男からすべてを奪う女と、男にすべてを与える女。
パトリス・ルコントが『仕立て屋の恋』(1989年)と『髪結いの亭主』(1990年)の2作品で描いたものは、いずれも男にとっての究極的な理想像だったように思う。そして本作においては、すべてを奪う女が描かれている。
僕もイール(ミシェル・ブラン)のように、アリス(サンドリーヌ・ボネール)から手酷く裏切られた経験がいくつもある。「笑うだろうが、君を少しも恨んでない。死ぬほど切ないだけだ」という彼の思いは、ラストの顛末(てんまつ)と併せて僕のものでもあった。
しかし、女たちにとって「ただしイケメンに限る」ように、男たちにとっても「ただし美女に限る」のは、サンドリーヌ・ボネールの美しさによく表れている。
また、社会的に共有されている言葉として、男の駄目さばかりが目につくのは、男女関係においては本来的に、女が糾弾しようとする存在であるのに対して、男は受容しようとする存在であることによる。
このことは、美学的に見ればすぐに分かる。女が男を糾弾する姿は美しく、男が女を糾弾する姿は醜い。いっぽう、男が女を受容する姿には格調が宿り、女が男を受容する姿には卑しさが宿る。
とはいえ、こうした美学によるものであることを知らない女は醜く、この罠に陥った女たちの数は驚くほど多い(そして僕は、死ぬほど切なくなる)。
そのようにして、男は窓越しに女を見つめ続け、実(みの)るあてもない思いを募(つの)らせた結果、出口のない屋上から屋根を渡り、最終的には落下する。そうした姿が、少しも女の心に届かないことも知らずに。
あるいは、知っていたとしても。
★フランス