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灼熱の魂のTakaCineのレビュー・感想・評価

灼熱の魂(2010年製作の映画)
4.8
沈黙を破り、負の連鎖を断ち切る。

ワジディ・ムアワッドの戯曲「焼け焦げるたましい(Incendies、火事の意)」をドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が映画化した作品。ずっと気になっていて『ブレードランナー 2049』公開前に観ようと軽い気持ちで挑んだら、凄まじい真相の衝撃度合いに見事に打ちのめされました。

途中で先を知るのが怖くなり、観るのを断念しようかと幾度か思いました。それくらい辛かった(;o;)

映画の完成度と強いメッセージ性に心が動揺してますが、観たことは決して後悔してないです。凄い映画でした。

この世で最も穢れた行為
この世で最も崇高な行為

怒りと哀しみが暴力となって渦巻く世界で、和解と赦しによって"負の連鎖"を食い止めようとする1人の女性ナワルの奮闘する姿は、私たちにどれだけ多くのことを伝えてくれるのか。

そのままでは流されてしまう感情の波に立ち向かう勇気は、まるで戦場のジャンヌダルクのようでした。

【和解と赦し】
〈レバノン〉
裸足で髪をバリカンで刈られる少年の冷たく睨む視線(この時に流れるレディオヘッドの曲"You And Whose Army"がよく合ってました)。彼は幼いながらも少年兵で、残酷すぎる宿命を呪い、やがて殺戮マシーンに変貌していきます。

〈カナダ・ケベック州〉
突然死した母親ナワル。その子供である双子の姉弟ジャンヌとシモン。母親の遺言の指示で、死んだと聞かされた父と存在さえ知らなかった兄に母親から託された手紙を渡すため、姉弟は肉親の消息を調べ始めます。

レバノンとカナダ。何の関係もない離れた地で、ナワルだけが知っているある真実。彼女はそれをひた隠しにして生きていたが、死んで墓場まで持ち込むよりも、白昼に晒すことで"負の連鎖"を絶ちきろうと決心しました。自分が体験した悲劇は金輪際無くさなくてはならない。ジャンヌとシモンの肉親を探す旅は、母親ナワルの壮絶な人生を追体験する過酷な旅でもありました(ジャンヌとナワルが時空を越えて重なる瞬間が映画的)。

この衝撃的な真実はネタバレしたら意味がないので書きませんが(ぜひ何も知らずに観てください)、なぜナワルは"敢えて"子供たちに過酷な真実を伝えたのでしょうか?

伝えなくても良かったんじゃないかとも思ったもので…

本作を観た後で、じわじわ浮かんできた僕の見解を書いてみます。

生まれた意味を知る

それは大切なことだと思います。宿命に立ち向かうこと。ナワルは自らの宿命を内心呪いながら、復讐よりも和解への希望を死する時に胸に抱いたのかもしれません。

そのためには、ジャンヌとシモンに彼らの出生をちゃんと理解してほしかった。

母親の愛として理解も出来ますし、ずっとひた隠しにして生きてきた限界の限界まで来て「誰か、私が死ぬ前に知ってほしい!」という魂の叫びの行動にも取れます。よく自殺しなかったと思いますね。

バスと一緒に荒ぶる炎で魂も焼き焦がされ、声を上げ泣き叫ぶこともなく(その代わりか細く歌いながら)生きてきたナワルの心が蘇ったあの瞬間。

朦朧とする意識の中で、公証人に出生の手掛かりを伝えたナワル。不可解な遺言。託された手紙。

自分が体験した"負の連鎖"が愛の不毛から生じたと理解した母親だからこそ、自らが歩んだ人生を子供たちに追体験させて理解してほしかった。

この悲劇も元は愛から生まれたんだよ。憎しみではなく、ただ愛がなかっただけ。…だから(いつか)赦してあげて。

母親でしかできないな、この感覚。

慟哭するくらい驚愕な内容なのに、叫びよりも沈黙と静寂ばかりが目立つ映画でした。叫んだら心が壊れてしまうかのようでした。重苦しい戦争の不条理を伝えながら、母と子の物語でもあるところに私たちにも理解できる切実な物語性が見えました。

この物語を構想したのは、ある知人の女性カメラマンの証言がきっかけだったそうです。ナワルのような被害者の存在。罪に問われずひっそり生きている戦争犯罪者の存在。地球のどこかで起きている過酷な現実。

想像してほしい。
スナイパーとして生きる空虚な少年の心の内を、壮絶な過去を隠して生きる母親の心の内を、父と兄を探して真実を知ってしまった姉弟の心の内を。

世代や国も宗教も関係なく、そこには"傷ついた心"があったように思います。

私たちは映画を通して、(ナワルの壮絶な人生から)戦争による"傷ついた心"と"負の連鎖"を実感します。

ナワルが犯した過ち。ナワルの叔母はその事で激しく責め立てます「家族の名を汚した」と。もうここには置いておけない。日本人には理解に乏しい宗教・人種間の根深い断絶と紛争。ナワルを助けたくても、家族の誰も報復を恐れて逆らえない。

ナワルの叔母は「大学で教養をつけなさい」と助言します。

生まれた時から当たり前に教えられた憎しみの歴史。報復に次ぐ報復。虐殺と迫害。生きるには…殺し続けるしかない。目には目を!それではいつまでも戦争は終わらない。

度重なる内戦は、肉親同士さえ否応なく引き裂いていく。

この"負の連鎖"を食い止めるためには、教わる知識ではなく(間違っていることもある)正しい理解こそが必要。理解できない相手は敵か味方か分からずに怖いもの。

相手の痛みや哀しみが分ければ、恐怖は和らぐ。けど、銃を持つ相手に恐怖しないのは確かに難しいですよね(-_-;)

ただ理解が和解への第一歩。

その先に赦しがある。

僕は今まで映画やドラマや小説を通して、経験したことがない戦争を知ってきました。想像だけでも憤慨するくらいムカつくのに、リアルに肉親を殺される経験をしたら果たして赦せるだろうか?

全く自信がない…
赦せるどころか、、

だからといって相手を殺したいとは思えない…(少なくとも実行はしない)はず。自分に親、兄弟がいるように、相手にも親、兄弟がいるはずだから。それは国よりも宗教よりも大事なことだと思うから(そう思うのは日本人だからですかね)。

同じ想いをさせたいと思うか…

植え付けられた憎しみや恐怖を消すのは、そう簡単なことではない。でもそうやって憎しみや恐怖で殺戮を繰り返してきたのが愚かな人間。

相手の痛みや哀しみを知る

過酷な人生を味わったからこそ、理解できる人の痛みや哀しみ。

ナワルが子供たちに託したのは、自分の気持ち「感情(愛情)の共有」を伝えることで、次世代こそは憎しみや恐怖を越えて赦し合うこと。

母ナワルと娘ジャンヌが旅の体験を通して「感情(愛情)の共有」を行ったように、私たちも映画を通してナワルの「感情(愛情)の共有」を行ったわけです(唯一不満があるなら、母と娘はしっかり描かれているけど、男たちはあまり描かれていないところ。戯曲は約4時間の作品だから仕方ないか)。

お前たちはこれからどうしたいのか?まだ争いを続けたいのか、和解して平和に暮らしたいのか。

どこかで"負の連鎖"を止めなければ、いずれ地球上の全ての人類が戦火で焼き尽くされることになるかもしれない。赦しは祈りでもある。

この世で最も穢れた行為
この世で最も崇高な行為

この反比例する行為を実行することができるのが人間。

愛・憎のどちらの共有をしたいか?

ヴィルヌーヴ監督らしい静謐な画面の中に、人間の宿命と可能性(希望)を示唆した見応えある愛の映画でした。
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