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冬の光のryosukeのレビュー・感想・評価

冬の光(1962年製作の映画)
4.0
久々に鑑賞。自分の初ベルイマンがこれだったのだが、重いテーマにかなり暗くなって映画館から帰ったのを覚えている。今回は前ほどの衝撃では無かったが、二回目だからか感情が鈍麻しているのか...
ヨナスの自殺を妻に伝えに行くシーンはやはりキツイ。「力になれなかった」というより自ら殺したようなものではないだろうか。風と川の流れの轟音だけが響く中で淡々と片付けられるヨナスの遺体。
グンナール・ビョルンストランドの厳格な表情も印象に残っていた。この人の頑なで鋼のように厳しい顔はやはりベルイマン作品にマッチし過ぎているな。
キリスト教的な素養が無くても、意味や価値を与えてくれる超越的存在の不在、目的や正当性の究極的な源泉の欠落というテーマとして捉えれば普遍的なメッセージを持っていると思う。
初見時はちょいちょい退屈した記憶もあるが、前よりも映像に目がいくようになっておりずっと短い印象を受けた。ただベルイマン作品としても淡々としている方ではあると思うし、映像美も少し控えめ。
やはり表情から多くのものを読み取らせる演出が光る。主人公がヨナスに「神を信じなさい」と言った後、見つめ返してくるヨナスから目を逸らす顔。マッタが主人公にキスをしているところを目撃した後の老婆の顔。
抽象的な背景を背にカメラ目線で喋らせるというマッタの手紙のシーンのアイデアはやはり面白いが、この手法の初出ってどこなんだろ。この前見たデプレシャン「キングス&クイーン」でも用いられていた。
「野いちご」ではあれだけ美しかったイングリッド・チューリンだが、本作では主人公から美しいものとして見られておらず、そのため観客の目にも美しくは映らない。ここらへんはやはり映画の凄みだよな。ノーメイクかな?と思ったが目をこすった時に少し滲んでいたのでそうではないっぽい。
「処女の泉」での湧き水、「鏡の中にある如く」で静かに開くドアは、今度は「冬の光」の姿を纏って現れる。
ラスト、冒頭と全く同型のシーンが、今度はたった一人の聴衆に向けて繰り返される。しかしその行為の意味合いに何か変化はあるだろうか。
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