GaPTooth

処女の泉のGaPToothのネタバレレビュー・内容・結末

処女の泉(1960年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

わがまま娘に甘やかしすぎの父親と娘に嫉妬する母親。
全員、口では神を賛美しているが、神のご意志には従ってはいない。

聖書の律法によれば、親に不従順な子供も子供を訓育しない親も共に罪人(つみびと)。そんな者たちに神が応えられたりはしないのは当然。

誠実にロウソクを寄進しに行くという務めを全うしようとせず、ヤギ飼いたち(作中「俺たちはヤギ飼いだ」と述べている)の誘惑にのった娘カーリンの末路は悲惨極まりないが、自業自得。自分の蒔いた種を刈り取ったに過ぎない。

確かにヤギ飼いたちの罪は重いが[悪に悪を返した]父親は、更に重大な[血の罪]を犯してしまった。神の憤りに道を譲るべきだったのに。

とはいえ、どんな罪人(つみびと)でも、イエス・キリストの完全な命の犠牲の価値に信仰を働かせて祈るならば、イエスを通して神の赦しを得、神に受け入れられるんだよ、と強引に持っていくベルイマンは凄い!

ラストがタイトルそのものだなぁ...。
黙示録に記述されている[命の水の川]の象徴。処女の泉。

興味深いと感じたのは、北欧神話の神オーディーンが[悪魔サタン(聖書の神に敵対する者)]として扱われていたこと。ベルイマンの宗教感が駄々漏れ。

ついでに。
聖書で言う羊は神の民を表し、ヤギは神から疎外された民を表す。
象徴的な意味での羊飼いはイエス・キリストのこと。
三兄弟が、羊飼いではなくヤギ飼いだったのにも意味があったのか。深読みし過ぎか。

※カエルは、二つに切って中身をくり抜いた無酵母パンの中に、生きたまま入れられていた。サンドイッチではない。
本当に観ていれば間違ったりはしないと思うが...。
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