みかんぼうや

奇跡の人のみかんぼうやのレビュー・感想・評価

奇跡の人(1962年製作の映画)
4.8
【一生の宝物にしたい映画。衝撃的な演技力が生み出す、ヘレン・ケラーに“言葉”という光を与えたサリバン先生の信念とその“言葉”が通い合うことの美しさ】

実は2021年最後に見た映画なのだが、見終わった瞬間にこの映画を年納めの映画にし2022年最初のレビューにすることを決めた。それほど何か自分の中で記録として残しておきたい映画。2021年鑑賞の映画で3本に入るどころか、一生大切にしたい宝物のような映画。2021年末にこれだけ素晴らしい映画に出会えたことに心から幸福感を感じた。

本作は盲ろう者(目と耳に重度の障害をもつ方)としておそらく世界で最も有名な人物ヘレン・ケラーが幼少期に人生の師と言えるサリバン先生と出会い、“言葉”という概念を理解するまでを描いた作品。晩年の聖人君子的イメージとは異なり、本作で描かれるのは、障害を持つゆえに家族に甘やかされた、いやむしろ家族の諦めから野放しにされた結果、“わがまま”や“行儀が悪い”という言葉では収まらない、人としての常識も全くないどころかコミュニケーションを取ることすら不可能になってしまっていたヘレン・ケラー。その素行は、人を表するには適当な言葉ではないが、もはや“怪物”のそれと表現したほうが近いのではないかと思わされるほど。そんなヘレン・ケラーにサリバン先生はいかにしてコミュニケーションを取り、“言葉”というものを教えていったのか・・・

“天才子役”という言葉は映画やドラマの世界で耳にするし、実際に「この子は天才子役だ!」と思うことは何度もあったけれども、本作で幼少期のコミュニケーションも取れず常識も何もないヘレン・ケラーを演じるパティ・デュークの演技は、もはや“天才子役”の枠を遥かに超えるほど衝撃的で絶望的で怪物的。本当に目が見えず耳が聞こえないまま育ってきたとしか思えないほど。しかし、だからこそラストシーンが本当に幻想的なほど美しい。この演技を超える子役の演技を見ることは今後の人生で二度とない、と思わされるほどの凄まじい演技力。

そして、このヘレン・ケラーに全く引けを取らず、己の意地と情熱でまさに“真っ向から体当たり”で臨むサリバン先生を演じるアン・バンクロフトの力強い演技。1つの作品で2人の異なる演者のこれほどの名演技を見せつけられる奇跡。中盤のヘレンとサリバン先生の食事のしつけシーンは、もはや戦争映画やマフィア映画の戦闘シーンよりも遥かに緊張感が高く、荒々しく、ただただ息を飲む。1秒たりとも目が離せない。

サリバン先生の厳しい教育のもと、ある日ヘレン・ケラーが「WATER」とは何かに気づき、そこから言葉という概念を知り、コミュニケーションというものを覚えていく、というエピソードは有名な話で、私も過去の伝記で知っていた。つまり、この映画の感動の結末は最初から分かっているのである。それでも、本作でこの名シーンに辿り着いてからラストまで溢れ出す涙が止まらないのは、やはりこの名優2名の迫真の演技がそれまでに作り上げた物語と2人の関係性があるからに他ならない。最後まで諦めなかったサリバン先生の情熱が報われた瞬間、ずっと闇の中にいたヘレン・ケラーが“言葉”という彼女の人生を照らす光を見つけ手に入れた瞬間、それによってこの2人が初めて本当に“心を通わせた”瞬間。この心の交わりによる感動は、他の映画では実に得難いものだ。

ちなみに、本作は障がい者を題材としているわけだが、いわゆる障がい者の頑張りと過剰演出で泣かせにくる“感動ポルノ”と言われるものとは全く異なると思っている。不思議と途中からヘレン・ケラーが障がい者であることを忘れてしまうほど、あくまでもサリバン先生とヘレン・ケラーの深い関係性と心の通い合いの部分に視点がフォーカスしていき、あくまでもそこから生まれてくる感動であって、決して“障がい者のサクセスストーリー”としての感動ではないことは誤解のないように触れておきたい。
(私は他のレビューにも度々書いていますが、「ここで泣いてください」と言わんばかりの“感動演出”と理想的な分かりやすいサクセスストーリーが苦手な天の邪鬼人間ですので)

最後に、本作は“子どもの教育”を考えるうえでも、大変価値ある作品だと考えている。作品内では、いわゆる“体罰”的なシーンもかなり多く、人によっては不快に感じる人もいるかもしれないし、今の世の中の教育としてはそぐわないのかもしれない。私も基本的に映画で“体罰”を行う親や教師のキャラクターには共感できない。しかし、本作のサリバン先生は別だ。そこには体罰云々を超えた、その子どもの持つ可能性に賭け信じ続ける一人の教育者であり人間としての強い信念と情熱と愛を感じたからだ。親や周りの目を気にして「生徒や子どもに好かれる評判が良い先生」になることが目的なのではなく、「その子どもの幸せな将来や今後の可能性を考えた時に、今できる本当に必要なものは何なのか?」ということを追究し実践していくことこそが教育の本質であり根底にあるべきことを、改めて気づかされた。エンターテイメントとしても学びの機会としても極上の作品である。
(興味を持たれた方、本作は同名タイトルで3回リメイクされているようですので、ぜひこの第一作目をご覧ください)
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