純

昼下りの情事の純のレビュー・感想・評価

昼下りの情事(1957年製作の映画)
4.5
「初恋は特別なものらしいね」「そうね、初めてのハイヒールのようなものよ」古典映画の言い回しは、本当に愛くるしい。女の子が初めてハイヒールを履くときって、数センチ分だけ景色が高く見えて、鏡に映る自分もいつもの自分とは違う雰囲気で、でも履き慣れてないから痛みもあって。胸を高鳴らせてくれるあのどきどき、嬉しさ、気恥ずかしさ、気後れ、傷、欠けてはならないたくさんのものを、大事に、正しい場所に戻したような、こんな素敵な表現がたくさん散りばめられていた。

邦題こそ少し生々しいタイトルだけど、実際は上品な慎ましさが漂う素敵な映画だと思う。見える範囲の恋愛描写はあまりなく、その代わりに繊細で奥手な心情がシンプルにわかりやすく、でもとんでもなく丁寧に描かれている。どの場面も作り手の誠実な思い、登場人物たちの愛おしいまっすぐさ、人間臭さ、頼りなさ、温かさが感じられて、心がすーっと綺麗になったような気がした。

音楽院に通う学生のアリアーヌは、父親が私立探偵を仕事にしている関係で、女性関係で話題が尽きないプレイボーイ、フラガナン氏のことを知る。妻を奪われたことに憤慨する夫が彼を銃殺しようとしていることを耳に挟んだ彼女は、なんと等身大で彼を助けようと大奮起。そのことをきっかけに翌日からふたりの秘密の密会が始まってー。

この映画は、何と言ってもオードリー演じるアリアーヌの背伸びが可愛い。女性の扱いに慣れている、お金持ちで二枚目の年上フラガナン氏に心を奪われて、めろめろで、だからこそ彼に注意を向けて欲しくて必死なんだよね。頑張って大人ぶった格好をしてみたり、口からでまかせを並べて彼に嫉妬させようともがいたり。それは縋りつこうとするみっともなさや往生際の悪さなんかとは遠い場所にあって、素直な気持ちが奥底にある行動なんだってことがひとりきりの彼女の表情から伝わってくるから、本当に微笑ましくて少し哀れで、でもやっぱり愛おしい。

アリアーヌが見栄を張っているのは、相手のタイプになろうと自分を捨てていることと同義ではない。彼女は本当に純粋に彼に恋い焦がれていて、憧れていて、彼が眩しくて眩しくてたまらないんだろう。だから、そんな彼にほんの少しでも見合う女性になりたくて、ちょっといたずらを働いたり、あることないことを喋ったりしてしまうんじゃないかな。アリアーヌはプライドが高いわけでも嘘つきなわけでもなくて、ただ、自分の心にまっすぐ、誰かを好きになっただけなんだよね。そして、それはとびっきり素敵なことだ。

彼女は最後、涙をこらえながら作り話をして「平気よ」と繰り返す。いつもはチャーミングで勇ましいアリアーヌのあんな健気で頼りなさげな姿を見て、守りたくならないひとなんているのかな。もちろん、辛いことや悲しいことを打ち明けてくれて頼ってくれるひとも愛らしくて素敵だと思う。でも、強情な子がひた隠しに寂しさをこらえて、明るく振舞おうとしている様子には、違う女の子らしさがある。お父さんも、こんな娘の性格を理解して、どうするかを決断したんだろうね。そして、フラガナン氏も、今までの自分が感じたこともない新しい気持ちの高ぶりを知って、彼女の手を取ったんだろう。

この作品では誰もが人情深くて、根っこの部分の優しさが、アリアーヌからも、フラガナン氏からも、アリアーヌの父親からも伝わってくる。それは場面によってユーモアであったり、思いやりであったり、涙であったり、叱責であったり、いろんな形として表れていると思ったし、きっと私も、周りの人たちからいろんな形の優しさをこれまでに受け取ってきたんだろうな。私に悟られないように私に届けられた優しさを、私も誰かに分けられたらいいななんて、そんなことを思った。可愛いワンピースを着て、ちょっとお洒落さん気取りして、大事な誰かと一緒に観られたら、きっと最高な映画だね。
純