ブタブタ

光と闇の伝説 コリン・マッケンジーのブタブタのレビュー・感想・評価

4.0
昔、日本テレビ系列で放送されていた水曜スペシャルと言う枠の番組『川口浩探検隊』と『矢追純一UFOスペシャル』
この2作品は今で言う所のフェイクドキュメンタリーでして、当時はもちろんそんな言葉は無かったのですが見てるこっちもおかしいな~と思いつつ楽しんで見ていた記憶があります。
近年、藤岡弘、さんで『藤岡弘、探検隊』として川口浩探検隊がリメイク(?)されたりもしましたがやはり当時のインチキ臭さやゲテモノ感、見てるこっちは疑いつつコントやギャグとしても楽しみながら見ていたのですが番組自体は非常に真面目に作られており、おふざけ等は一切なく、そこが何とも言えないシュールな笑いを生み出しており当時はあくまでもコレは「ドキュメンタリーと言う体(てい)」で放送されていました。

『グレートハンティング』のライオンが人間を食い殺すシーンは本物の映像だと宣伝しながら本当はそうで無いとか、『残酷大陸』で知られるヤコペッティ監督はそれは「ヤラセ」ではなく「再現」だと言っていました。
事実(これもかなり怪しい)があってそれが聞いた話しで出どころがかなり怪しくても観客に見せる為にはわかり易く見やすく時には多少の演出(笑)も加えて“再撮影 ”で制作されたもの。
それが今「フェイクドキュメンタリー」に形を変えて受け継がれているのかもしれません。

藤原竜也・主演の『探検隊の栄光』は川口浩探検隊のパロディでダメな主人公がダメな人達と共に、最初はいい加減にやる気なく仕事に向き合っている人間がトラブルや事件に巻き込まれる事でやりがいや自分の人生を取り戻す、言ってしまえばよくあるパターンの話で肝心の川口浩探検隊に関しては設定として使っただけ表面をなぞっただけと言いますか、そもそも求める物が違うので川口浩探検隊の持つあのシュールな世界の再現を求めるのは間違っているのですが。

(長い前置き終わり)

この『コリン・マッケンジー』を見た時、やはり真っ先に思い出したのは川口浩探検隊で、そのマインドや制作手法は全く同じでした。
ニュージーランドに映画史に名を残す事なく埋もれてしまった天才映画監督コリン・マッケンジーと言う人がいた(?)
ピーター・ジャクソン監督がマッケンジーが残したフィルムを手掛かりにその正体に迫ると言う、映画創成期のミッシングリンク、映画史ミステリーでありピーター・ジャクソン探検隊(笑)

そのフィルムが眠る蔵に入るジャクソン監督(何故かカメラは中から撮っている)
そのフィルムを修復した所、其処には驚くべき物が映っていた。
自分の手でフィルムを作り映写機を作り映画を撮り、兎に角マッケンジー監督は凄い人で世界初のアクション映画、歴史映画、SF映画、カンフー映画を撮った人でライト兄弟よりも9ヵ月早く空を飛んだニュージーランド人の初飛行を記録に収めており、最後は第一次大戦に戦場カメラマンとして従軍し目の前で撃たれた仲間を助けようとカメラを落とし走って行った所を銃で撃たれ偶然落としたカメラにその瞬間が撮影されていた。
自分の生涯の最後もフィルムに収められていたと言う奇跡の様な映像作家。

ピーター探検隊がジャングルの奥深くを探検して行くと巨大な遺跡の如きオープンセットが。
それはマッケンジー監督未完の超大作『サロメ』の舞台であり、まるでジャクソン監督を待っていたかの様に静かに、そして再び撮影が始まるのを待っていたかの様に奇跡の様な保存状態で残っていた。

ミラマックス社社長(本物)が「マッケンジーは黒沢、フェリーニと並ぶ天才であり、オスカー功労賞を渡すべきだ」と語ったり、最後は歴史に埋もれ名を残す事なくこの世を去ったコリン・マッケンジーの功績を我々ニュージーランド人はけして忘れてはならないとピーター・ジャクソン監督は締めくくります。
しかしスタッフロールが流れたあと、最後にこんな1文が。

[もうお分かりでしょうがこの後一応ネタバレと言う事で]










《この番組はフィクションであり、実在の人物・団体とは何の関係もありません》

テレビ局(テレビ映画です)には視聴者から猛抗議が来たそうです。
「オスカー監督が何やってんだ?」
「お前らは子供か?!」など。

おかしなところは多々ありいくら何でも途中で気付くとは思うのですが、やはり本気度が違うと言いますか、完全なフィクションによる人物史、歴史ミステリーで最後の最後まで大真面目な作りで引っ張って置いて「ウソですv(。・ω・。)ィェィ♪」って有る意味どんでん返し。
川口浩探検隊をジャクソン監督がリメイク(?)してくれるとは夢にも思いませんでした。
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