horaAya

新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君にのhoraAyaのネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

シンエヴァネタバレも含みます。


最高のハッピーエンド。これこそ「生きる」こと、そして「結婚」だよ。旧版の際にあまりにも叩かれたために庵野は自殺まで考えたらしい。旧劇で全て描き切ったという庵野の言葉の通り、これ以上に『エヴァ』を発展させることができないのは明白。シンエヴァのような光り輝く温かさという虚構を打ち出したのは、監督の言の通り本心なのでしょう。奥様と出会った(旧劇のラストに達した)ことで、監督の中でとっくに『エヴァ』は終わってるわけで、新シリーズは『エヴァ』を終わらせる作業(かつて『エヴァ』を叩き、自殺寸前まで自身を追いやったオタクどもを黙らせること)でしかなかったのだろうと思う。だからこそ「終わらせる」ことに終始したチープなものに仕上げたのだろうと思う。大衆向けエンタメ路線なのもそのため。だから、新海誠の逆輸入的なダサさ、鬼滅的何から何まで語る急ぎ足なソードマスターヤマト的展開まで取り入れ、とにかく「オタクを騙して黙らせる」を徹底し、「オタクってこういうの好きでしょ?」を盛り込み、キラキラ邦画のような光で満ち満ちた虚構で幕を閉じさせる。既に監督は自身の作家性を発露させる別のフィールドを見ているわけで、そのために『エヴァ』を精算したかったのでしょう。それこそが「本心」なのでは。

そう考えると『Q』は庵野からのテストだったのではないかと。旧版で行った「分析」を現代において再試行した『Q』は、真に『エヴァ』が理解されているかを今のオタクに投げ掛けたものなのではないか。それがあの結果。それ故に『Q』後の鬱の大きさも計り知れないものだったことが想像される。そうであれば当然『エヴァ』を破棄する方向に舵を切るのは自然な流れ。

地獄の中でもがき苦しむ「孤独」をハリネズミのジレンマに悩みながらも、手にする朧げで不確かな光と、そこに蔓延する独り善がりなエゴイズムと…等々色んなものを抱え苦しみながら「生きる」ということの病的でどこまで行っても閉じられた世界のささやかな道標を手にすることで幕を閉じる本作は、シンエヴァの遥か上の高みに到達してると思う。旧劇→シンエヴァはベルイマンと真逆の道を歩んでるように思えてならない。

『シンゴジラ』においても「地獄」の中で如何に生きるかの問いを現代において分析的に描いた庵野が、シンエヴァのようなキラッキラな希望に溢れた虚構の現実に立ち返るとはどうしても考えられない。庵野は作家性を失ったのではなく、「終わらせる」ためにシンエヴァにおいて意図的に作家性を発揮しなかっただけなのだろうと私は感じた。シンエヴァは庵野から観客に投げられた最大級の皮肉でしかない。
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