shibamike

大いなる幻影のshibamikeのネタバレレビュー・内容・結末

大いなる幻影(1937年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

第一次世界大戦の映画って初めて観た。と思ったら、自分が知らないだけで実はあの映画の舞台は第一次世界大戦中だった、というのが結構あった。
とにかく、第一次世界大戦中というのをハッキリ意識して観た。ヒトラーが登場する前のドイツ。

ドイツ軍の捕虜となったフランス軍人に焦点を当てた映画なのだが、1番驚いたのが、捕虜が案外自由そうな所である。差し入れを自由に食べたり、着たりすることができ、お楽しみ会も開ける。この次の第二次世界大戦のイメージと全然違う。催し物のために女装するシーンがあるのだが、女装した兵士を周囲の男達が生唾ゴクリと見つめる。面白いけど、ちょっと怖い。

印象的だったのは、フランス軍人ボアルデューとドイツ軍人ラウフェンシュタインの会話。二人とも貴族らしく少し話が合う。ラウフェンシュタインが嘆く。「時代の流れとともに貴族は不要となっていく。」ボアルデューが言う。「性病も昔は特権階級のものだった。今は何でも平等だ。」貴族がアブノーマルプレイをしていたことをカミングアウトした瞬間であった。「こいつらのせいで…」と握り拳の自分。
この「平等」というのは現在でも絶賛進行中である。男と女、白人と有色人種、健常者と障害者。ありとあらゆるものを世界中一丸となって平等にしようとしているし、平等にさせまいとしている人もいる。平等平等平等。
関係ないが、昨日ちょうどまとめサイトで女性専用車両に乗車する男性の動画を見たが、電車遅延の原因がああいったことだったのかと思うとやりきれない。男女平等よりも電車遅延を嘆く自分は国民の自由を真剣に考えていない愚民なのかもしれない。

ゼラニウムの花言葉は「尊敬・信頼・真の友情」らしい。ラウフェンシュタインは死んだボアルデューにゼラニウムを手向ける。戦時下において、敵でなくなり友情を結ぶにはどちらかが死ぬしかない。木ヅタとイラクサしか育たぬ寂しい土地に一輪のゼラニウム。戦時下における平和への希望もまさに一輪の花っぽそう。

収容所を脱走したマレシャルとローゼンタール。衰弱しきった所で、あるドイツ人未亡人に助けられる。未亡人はやはり戦争で夫や家族を亡くしており、広い食卓には幼い娘がちょこんと座るだけで、二度と座られることのない空席が目立つ。この未亡人のシーンがとても感動した。牛小屋で遭遇した不審な男二人(しかも敵軍)を迷わず迎え入れ、もてなす。歴史的にはこういった好意が踏みにじられたこともあるだろうが、自分は感動した。数日の滞在の後、先を急ぐことに決めたマレシャルとローゼンタール。マレシャルが出ていくことを知った未亡人は涙をこぼし、心の叫びを漏らす。「部屋で男の人の足音が聞こえることがどんなに幸せか。」愛する人をことごとく失った彼女の心はギリギリになっていた。収容所だけでなく戦争の魔の手は非戦闘員の日常・心にまで及んでいた。

マレシャルは未亡人をヤリ逃げするんじゃないだろうか、とPTAのような厳しい目で見つめていたが、どうやら真面目な愛情だったようで、一安心(自分の身勝手さよ)。

スイスを目指すマレシャルとローゼンタール。マレシャルはふと戦争の終わりを願う。それに対しローゼンタールが「それは幻影さ。」と一笑に付す。大いなる幻影。大いなる幻影。映画タイトルの味が口に広がる。

「地味な映画だな」というのが見終わった直後の率直な感想である。家に帰って本作をネットで調べたら「反戦映画として不朽の名作」という評価らしく「ああ、自分の眼球は、また名作を素通りしてしまった…」と落ち込んだ。
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