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ヒルズ・ハブ・アイズのhorahukiのレビュー・感想・評価

ヒルズ・ハブ・アイズ(2006年製作の映画)
3.5
アレクサンドルアジャ監督による『サランドラ 』のリメイク作。久しぶりの再鑑賞。

原題どおりの邦題に戻したアジャ版なわけですが、マジでサランドラ って何なんでしょうね。流行りに乗っかったのはわかるけど、どんな意味なんだろ。

あらすじ…
舞台はニューメキシコ州の砂漠。両親の銀婚式を祝う家族旅行で荒地の中、キャンピングカーを走らせていた家族は、途中で立ち寄ったガソリンスタンドの店主に近道を教えてもらう。地図にないその道を進んでいると、急にタイヤがパンクし、電波も届かない砂漠のど真ん中で孤立してしまう。父親が先ほどのガソリンスタンドへ助けを求めに、長女の夫が父親とは反対側へ人を探しに歩いて向かうも、父親だけが戻らず…。

長女の夫ダグは銃が嫌い。そして携帯ショップを経営してる真面目な男。日頃から父親とは反りが合わず、今回の旅行もあまり乗り気ではなく渋々付いてきた様子。父親と娘婿の関係は一般的に職業で象徴的に語られることが多いように思いますが、本作の父親は元警官で緊急事態には頼りになる一方、娘婿ダグの携帯は一切繋がらず全く役に立たない。こういった娘婿の「頼りない」という観客への印象付けが後半で効いてくる構成が丁寧。

家族旅行を楽しんでる両親と、仕方なく来てるその子供たちの温度差。家族みんなで行うお祈り。何気ない親と子の会話。そういった一般的なアメリカ家庭のリアリティを描くことに力を入れた前半部分により、この家族が血の通った生身の人間であり、観客にとって身近な存在であることを印象づける。だからこそ、彼らが圧倒的な暴力の犠牲となるシーンに恐怖と胸糞感が生まれるわけで、かなり誠実なつくりになっている。

そんでオリジナルとの違いは、なによりも反核メッセージが色濃く出ているところ。もちろんオリジナルにもその要素はありましたが、本作では奇形児やキノコ雲をとことん見せるオープニングから始まり、放射能の影響で生まれた奇形児とその遺伝性を不自然なほどしつこく描いている。

『サランドラ 』の根幹はこういった社会風刺であり、加害者はアメリカで被害者は被爆者なわけです。だから本作の食人集団は被害者であり、反社会行為をしなければ生きられないほど追い込まれた社会的弱者でもある。そしてそういった状況に追い込んだのはアメリカであり、アメリカの一般家庭として描かれる主人公家族は一市民でありながら、対岸の火事的に見て見ぬ振りをし続けたアメリカ側の象徴としての意味も(多少は)持ち合わせているわけです。

食人一家の暴力行為は、現実に生きる弱者たちの虚構世界からの体制への反撃であり、それに対し暴力でもって反撃するしかない家族という構図から、こういった救いのない状況を作り出し「んなもん知らねーよ」と見て見ぬ振りを決め込むアメリカへの批判を強烈に盛り込んでいる。そういったところにオリジナルの良さがあったと私は思ってて、本作にも踏襲されている。

そして、主人公家族はアメリカを部分的に象徴しつつも、やはり一市民であり、本来このような抗争に身を置くべき存在ではない。でもそうせざるを得ない状況に追い込まれてしまうわけです。家族視点で語られる本作は、家族の食人族への復讐に爽快感を覚えるよう作られており、反暴力の象徴であった娘婿が暴力へ覚醒することがあたかも成長のように語られる。この皮肉とやり切れなさ。

たしかに単純にお話としての面白さは本作に分がありますが、反核メッセージを強めたにもかかわらず、オリジナルのラストを変更したことにはすごく違和感を覚えてしまう。あのラストが何とも言えないやり切れなさを感じさせる良さだったと思います。本作でももちろんやり切れなさは感じるのですが、ドラマチックにし過ぎというか。それと「反核」部分の描き方がわざとらしくてダサく感じる。

そういったところを匂わす程度に抑えて極力表に出さなかったオリジナルとめちゃくちゃわかりやすくしてしまったせいでダサくなってしまった本作。面白さは間違いなく本作なんだけど、私はオリジナルの方が好き。
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