「愛してる」と「わかんないけど愛してる」
まなざしの暴力がずっとメイベルを取り囲む。「見ないでくれ」とも思うし、「見ることをやめないでくれ」とも思う私はどこにいる誰なのか。
ふしぎと「もう見たくない」とは思わなかった。
招待客の目線、表情、立ち振る舞いから滲み出る警戒、恐怖、憐憫、苛立ち、無音のサイン
ああ身に覚えがあると思う。
社会の生ずるところ、だれもが即興演技しなければならないのだとも思う。なにが正気か狂気かは説明しがたいこの世のなかで理解してもらうための演技もあれば、台本もある。
次の瞬間、破綻しかねないものたち。
実父とメイベルの近さ、ニックとメイベルの離れがたさが怖い。母親たちの気づきも怖い。
田辺聖子が「私は女というものは、女らしくある人であればあるほど、固有の性格なんてないように思えてしかたがないのです」と書いていたと思うけれど、メイベルの「あなたの好みを教えて」という問い(乞い)に、映画はニックの返答を待たず場面を切り替える。
自分ならなんてこたえるだろうと思った。