早稲田松竹にて鑑賞
作中殆どの時間は農夫とその娘、飼っている馬を淡々と描くことに費やされる。
親子は荒野の貧しい小屋で寝起きし、嵐の中欠かさず水を汲み、茹でたじゃがいも1つを貪る生活を送る。
嵐は止むことなく、最後には世界は光を失う。
監督はこの映画を通して何を描きたかったのだろうか。
個人的に、嵐の中繰り返す単調な生活や光を失う世界は、人が老い、死に向かっていく様を暗喩しているように感じた。
確かに生きることは時に苦しく、単調な作業の繰り返しかもしれない。
しかし、そればかりではないはずだ。
あえて美味しく食べる工夫もせず、ただ茹でたじゃがいも1つの生活をする必要があるだろうか。
なぜ、2人きりの同居生活で、あの様に無味乾燥なやり取りしか生まれないのだろうか。
一緒に暮らすただ1人の同居人であれば、お互いを思い遣る温かい言葉の1つもないのだろうか。
この作品の世界観はあまりに悲観主義に囚われていると感じた。