Kuuta

リバティ・バランスを射った男のKuutaのレビュー・感想・評価

4.2
ジョン・フォード後期の傑作。

西部が独立を失い、米国の一部になっていく過程を描いた人間ドラマ。決闘の緊張感も流石の一言だが、今作では叙情溢れる荒野や馬の疾走感、激しい銃撃戦はほとんど味わえない。この作品構成自体が、60年代の映画界において西部劇が風前の灯にある事をメタに示している(逆に言えば、銃撃戦に興味のない人もしっかり楽しめる作品ではある)。

「アメリカの良心」ジェームズ・スチュアートが上院議員のランスを演じる。彼が西部の田舎町へトム(ジョン・ウェイン)の葬儀に訪れるシーンから映画は始まる。いきなり西部は死んでいるのである。

映画の大半は、トムの生前をランスが物語る形式を取っており、ここにも「過去」としてしか存在出来ない西部の限界が現れている。

かつてのトムは人々からの信頼の厚いガンマンであり、西部の象徴だった。若きランスは法律家として働こうと西部にやってくるが、いきなり荒くれ者のリバティ・バランス(リー・マーヴィン)にボコボコにされる。銃で無法地帯を生き抜く西部では法秩序が通用しない、という手痛い洗礼である。

今作は、ランスがトムの協力を得ながら、西部の町を「東部化」し、自身も政治家になるまでのお話だ。彼が町を啓蒙し、「アメリカの良心」が誕生する経緯を描いている。

保安官の帽子をハリー(ヴェラ・マイルズ)が蹴り飛ばすと、帽子はランスの手元へ届く=西部への入り口。フォード作品において物が飛ぶのは常に重要なアクションだ。トムは町議会を仕切る槌をランスに投げ渡す。

ランスはハリーのレストランで働きながら、読み書きや社会の仕組みについて授業を始める。男の帰りを待つ家の女=白い服という定型を外すように、ランスは白いエプロンを身に付けている。彼は荒野の人間ではない。終盤には白い包帯を巻く。対照的に、トムやリバティバランスは暗闇の中を歩く。

ハリーやヨーロッパからの移民者は、真摯にランスから学ぼうとする。酒とタバコは西部の象徴だが、ランスは議会の間は酒場は休業、教室は禁煙だと宣言する。

新たな秩序の登場にリバティバランスは怒り狂い、ランスに決闘を申し込む。暴力の前では正論は役に立たないと理解していくランス。言論の自由を訴え、リバティバランスの悪行を暴いた新聞の編集長が暴行を受けたのを機に、決闘を受ける覚悟を決める…。

決闘の行方はネタバレしないが、暴力の繰り返しの中で秩序を拡大してきたアメリカの歴史を、痛みと共に描いている。ど素人のランスがリバティバランスの前に立った時の緊張感が凄まじい。トムの密かな夢の結末、飼っていた馬を逃すシーンは、西部の終わりを示唆しており切ない。

戦いが終わった後の選挙も印象深い。「ワシントン直通の鉄道が出来た」=西部の独立は完全に失われる。対立候補は昔ながらの牧畜業者で、カウボーイの格好でパフォーマンスする。カウボーイはもはや形骸化している。

ワシントンに戻るランスはパイプ(文明化された西部)を吸おうとする。だが、車掌のある一言で彼はその動作を辞めてしまう。どれほど西部を経験しようが、彼は最後までタバコを吸うことができない。オープニングと対を成す形で、鉄道は西部を離れていく。84点。
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