♪ 写真の中の俺達はいつも
勇ましく何かを睨んでる
思うに、格好良さって“覚悟”の有無。
どれだけ「俺は器が大きいんだ」と振る舞っても、それが無ければ案山子と同じ。目ざといカラスは知っている。彼奴は何も出来ない、と。
それは映画でも同じ。
“覚悟”があれば台詞なんて不要。
寧ろ言葉が本質を隠し、間違った方向に誘導するだけ。素材を無駄にして終わり。
だから、本作は語らない。
始めは運任せ、コインを天に投げて。
次はそれがセオリー、指が弾くままに。
しかし、最後は決断したがゆえに投げ捨てる未練。
そこに言葉が要るのか。
漂う色気が鼻を突けば脳髄は蕩けるし、瞳の奥にある熱量は脊髄に電流を流し、口から零れるのは吐息。友情は打算ではない。家族も打算ではない。
だから、命すらも紙切れより薄く。
悔いなどあるはずなく、ただ只管に運命が結び付けた糸を愛でるように大切にする。刃物で切ることは出来ず、銃弾で打ち抜くことも出来ない。それが真の“覚悟”。
これがジョニー・トー監督の筆致。
静と動が繰り返すように揺蕩う世界。そのギャップは細胞から宇宙の果てまで届くほどの大きさ。那由他に霞むのはセピア色の残像。思わず口から零れる「スタンド・バイ・ミー」。
まあ、そんなわけで。
不器用なまでに語らない物語に燃えて、萌えろ。魂が焦げ付いた先にあるのが約束の地。きっと、彼らはそこで待つ。手も振らずに前を向いて待つ。
だから、あとは歩むだけ。
悔いが残らないように考え抜き、その一歩が明日の糧となると信じ、勇気を持って踏み出せは良い。それが出来れば漢。天に拳を突き立てて果てる漢。
わが生涯に一片の悔いなし。