秋月

グラン・トリノの秋月のレビュー・感想・評価

グラン・トリノ(2008年製作の映画)
4.9
この映画は歴史だ
アメリカの歴史であり、イーストウッドの歴史を観ているようだった


歴史は何のために学ぶのか?
それは解放と継承のため


主人公のコワルスキーは古きよきアメリカの時代を背負っていた。住んでいる場所と家、職業、グラントリノがそれを象徴していた。
しかし、古きよきアメリカの影にとらわれてもいる。戦争でしてしまったこと、住んでいる場所を変えられないこと、しきりに庭の芝刈りをしていること。


ここで想像してほしい
新居を建てることにしたカップルは、前庭をきれいな芝生にするように依頼した。だがなぜ芝生なのか?「芝生は美しいから」とそのカップルは説明するかもしれない。だがどうしてそう思うのだろう?実はその裏には一つの歴史がある。
元々芝とは、中世後期のフランスやイギリスの貴族のステータスとして用いられた。美しい芝を維持するのには手間がかかるため、自分はこれを維持する財を持っていると宣伝することができた。しかし今ではそんな宣伝をしたところであまり意味がない。
芝の歴史を知ればそのカップルは前庭に芝生を植えるだろうか?歴史を知ることはそこから解放され新たな価値観を想像できる。(ユヴァル・ノア・ハラリ著『ホモ・デウス』より)

歴史を知ることはそこにとらわれもするが、そこから解放される機会を得ることになるようだ。



タオを迎え入れる対比
神父に懺悔をするシーン、しかし本当の懺悔をするのはタオの前でする。網目状の仕切りを隔てて
十字架にかけられるように倒れる。そこにはアメリカの歴史とイーストウッドの歴史が反映されているだろう。
床屋での会話は純粋に笑った


あれだけ差別発言を繰り返していたコワルスキーは最終的にあるものを譲る。
アメリカの歴史とイーストウッドの歴史に木霊した想いの継承だ。

アメリカ人である自分の孫ではなくモン族の彼が継承した理由とはなんなのだろうか?
それはコワルスキーの歴史の解放であるとともに白人も黒人も黄色人も関係ないつまりはこれを観ている観客誰もが継承したということだ。


それは走り去っていく、新たな価値観を求めて…
秋月

秋月