オルキリア元ちきーた

グラン・トリノのオルキリア元ちきーたのレビュー・感想・評価

グラン・トリノ(2008年製作の映画)
3.8
コワルスキー爺さんの策略にまんまとハマるのを楽しむドラマ。

2009年(本国公開は2008年)には、クリント・イーストウッドは78〜9歳。
この作品の流れからして遺作のつもりで作っているだろ?と思わせる様な流れ。

年寄り故の前時代的な偏屈な男性像。

老後を心配するフリをして見せながら相続の算段や介護の責任の擦り合いをする息子達。

近所の異文化とのコミュニケーションから浮き彫りにされる人種的な違いと人種を超えた交流

そしてイーストウッドの根底に流れる宗教への畏敬と

今まで演じてきた数々の作品へのオマージュとアンチテーゼ

いかにもイーストウッドが自分の総括の為に作ったとでも言うべき作品

…と言いたいところだけど
長生き爺さんの策略は、この作品さえも「アンチテーゼ」化してしまう作品とも言える「運び屋」を作ってしまうバイタリティ!
それこそがクリント・イーストウッドの真骨頂なのだろうな。

簡単に言えば面白かった。
ヒネクレた言い方すれば「ズルい」。

現実に、老いた義父のために部屋を用意したり
少しでも共同で住み易い環境を整えようと
考えていた私はコワルスキーの息子の立場で
コワルスキー爺さんの頑固な態度は非常に自分勝手である。

息子世代からしたら、親子のワダカマリは、教会で気紛れに懺悔しさえすれば許される様な気軽な確執ではない。

家族との繋がりより、自分の欲望や好みを優先するのがさも当たり前の様な「クリント・イーストウッドの家族観」は「運び屋」でも遺憾無く発揮されているが、身内からすればご都合主義もこの上ない。

それを、孤独な青年タオとのコミュニケーションから得た絆の昇華に還元してしまうのは、ハッキリ言って「何も解決しないまま逃げきった」感がハンパない。

このパターンは「運び屋」でも受け継がれている(結末は全く逆転だが)。

要は、イーストウッドは「家族よりも仲間との繋がり」の方が大事な男ということだ。