Azuという名のブシェミ夫人

歓楽通りのAzuという名のブシェミ夫人のレビュー・感想・評価

歓楽通り(2002年製作の映画)
4.1
パリの娼館『オリエンタル・パレス』で、一人の娼婦が男児を出産する。
彼はプチ・ルイと名付けられ、娼館にいる大勢の娼婦達みんなが彼のママであり、家族であった。
娼館の中だけで成長した彼の夢は、いつか運命の女と出会い、その人が生涯幸せであるようお世話すること。
そして、彼の前に運命の女性マリオンが現れる。

パトリス・ルコントの作品の多くには運命の女=ファムファタールが登場する。
男たちはまるで女神でもあるように彼女達を崇め、慈しむのである。
そして、いつも観ているこちらに侘しいような気持ちとトラウマに近いものを残していくのだけれど、まるで私自身ファムファタールに翻弄される男のように、パトリス・ルコントの作品を観ることをやめられない。

シャンソンや軽快なスウィングジャズが第二次世界大戦末期のパリ歓楽通りへと誘ってくれるので、割とすんなり世界へ浸かっていく。
プチ・ルイは街中の娼婦から家族のように愛されている。
純粋であり心優しく、見た目にも素朴なオッサンに成長していた。
いや、純粋というより娼館の外部に殆ど無知であるから、自分の世界があまりにも狭いだけなのかもしれないけれど。
それ故に運命の女と感じたマリオンに対する思いが一途すぎるのである。
幸せになってほしい。
自分が彼女を幸せにする。
しかしその思いがあまりにも強い為に、プチ・ルイが理想とする“マリオンの幸せ”には彼の居場所が無い。
自分が恋人となって彼女を幸せにするのではなく、彼女が幸せになれる相手の男を探すのだ。
それは究極の無償の愛。
幸せに微笑む彼女の傍に寄り添うのが自分で無かったとしても、彼女さえ幸せであれば良いなんて。
マリオンはけっして美人では無い。
だけれど、どこか放っておけないような、妙に気にかかるコケティッシュな魅力があって、プチ・ルイが彼女を選んだのは分かる気がする。
それに彼は生まれた瞬間からセックスがあまりにも身近に溢れすぎていて、殊に“愛”においての性衝動みたいなものは持ち合わせていなかったのかもしれない。

ルコント作品を観る度に起こるいつものことだけれど、どうにもならない切なさが胸を去来する。
彼女を幸せにしたいのなら、時には否定することも必要だったのでしょう。

哀愁漂う夜、雨の路地。
そこはいつかの歓楽通り。
かつて歓びが生まれていた場所。
止まるレコード。
彼女の歌声は、もう聞こえない。