えふい

機動警察パトレイバー2 the Movieのえふいのレビュー・感想・評価

4.5
「戦線から遠のくと、楽観主義が現実に取って代わる。そして最高意思決定の段階では、現実なるものはしばしば存在しない。戦争に負けているときは特にそうだ」

この、本作を観た誰もが言及せずにはいられないだろう後藤のセリフはジェイムズ・F・ダニガンという軍事アナリストの言葉で、それが記されている『戦争のテクノロジー』が発刊されたのは1984年──かの有名なディストピアSF、ジョージ・オーウェル著『1984年』との奇妙な合致(あるいは単に"偶然"とも呼ぶ)をみせる。
本作はシリアスだとかリアルだとかいうよりもはや鈍重と評すべきまでに、前作ではまだしもその残滓をかぐわせていた娯楽的な疾走感やカタルシスとは無縁である。
なにせ南雲しのぶを演じた榊原良子が、自身の抱いていたキャラクター像との乖離に困惑したという逸話が語られているほどには、スクリーンに投影される色彩は押井守監督のカラーに染められている。
それはすなわち「もはや戦後ではない」がはたして真実なのか、真の意味での「戦後」を精算しないまま繁栄した国は、蜃気楼のごとくおぼろげな平和のうえに立脚しているにすぎないのではないかというものだ。この戦後日本が辿った足跡と国民の精神史については、佐藤健志著『僕たちは戦後史を知らない』に詳しいので興味のある方はご一読いただきたい。また前作にしろ『2』にしろ、あくまで後手にまわり事態の収拾をはからざるをえない羽目に陥っているあたり、押井守のお偉いさんに対する冷笑的な視線が感じられる。
さて、個人の戦争あるいは戦後論を説きたいだけなら大勢を巻き込んで映画になぞしてみせる必要もないわけで、独特の行間で構成された会話劇や、川井憲次による低音がズンと響く起伏の少ない音楽等、イデオロギーだけの作品で終わらない要素が相応に含まれていることはつけ加えておきたい。細緻きわまる作画で描かれた日本の似姿が、現代兵器によって崩されてゆく様にふと胸がしめつけられたような気がしたのは、私が決して国粋主義者でないことを証明するまでもなく作品の力のたまものであろう。
帆場や柘植が残した爪痕──彼らの問い掛けから三十年が経とうとしているいま、われわれは確たる答えを持ち合わせることができたのだろうか。「だから!遅すぎたと言ってるんだ!」と再び喝破されてしまうような無様な未来だけは勘弁願いたいものだが、昨今の世間を見渡すかぎりすでにその時は過ぎ去ってしまったのかもしれないと、暗澹たる気持ちを抱かずにはいられないのだった。
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