このレビューはネタバレを含みます
映画「追悼のざわめき」再鑑賞。言わずと知れた1988年公開のカルト映画。
菜穂子と名付けたマネキンを愛する主人公と、彼ら(というか菜穂子)に翻弄される人々の物語。小人症の兄妹、エログロ、ロリ、近親相姦、レイプ、殺人、傷痍軍人などが登場することもあり、日本のアンダーグラウンドシネマの頂点とも言われている。
物語は常世と現世の合間で生きているような人々を描いており、そのちょうど境界線上にはマネキンの菜穂子が存在している。人々は菜穂子に魅了されたり嫉妬したりしながら、内面の狂気を彼女にぶつけていく。
彼らは次第に愛する者と別れ追悼することに。しかし、ただ静かに哀悼することはできず“ざわめき”となり、狂気となって発露する。
全編にわたりモノクロで流れる映像は物悲しく、醜さの対比として描かれる美しい兄妹が登場するシーンは陶酔的だ。
だからこそ他の醜さが際立つが、眉を顰めながら鑑賞している自分を俯瞰したとき、それこそが監督の意図するところだと気づいた。
死は誰しもに平等でありどんなに美しい人でも腐敗し朽ちていく。それを含めて死は皆に優しいのだが、生においてはそうもいかない。美には光があたり、醜は永遠に影のまま。
しかしそうだとしも、皆生きている。踏み躙られても忌み嫌われても。その生はどうであれ尊い。
とはいえ、そんな生への讃歌を描いた作品でもない。
ざわめきながらも朽ちていく様子が妙に美しく見えてくるから不思議だ。
オススメはしないですが、個人的には好きな作品です。ラスト10分は特に圧巻。