全ての、不器用に真っ直ぐ生きる人たちが、生きて・死んで報われますように
'死ぬ時は別々'だし'死が救済になる(人もいる)'
うん、死が救済なのは間違いない。根本的には、自分は生きる価値ないなと、個人的に思っちゃうし。自分を殴りまくったり、銃で撃って死んでいくシーンが納得すぎる。衝動的に誰か殺してしまうんじゃないかという心配よりも、自分を殺してしまうんじゃないかという恐怖の方が圧倒的に大きい。
辛い状況においては、辛いと感じる自分が死ぬのが一番早い。普段は、精神的に自殺する。(それを成長と呼ぶこともあるよね)
'死が救済'と思っていいんだ、と思うことで私は明るくなれる。死ぬのって、本当にめんどくさそう。私、誰にもバレずに死にたいのに、絶対無理じゃん(これを言及している映画初めて観たかも)。私一人くらい居なくなったってちゃんと世界は回るくせに、死んだら目立っちゃうんでしょ。嫌すぎる。悲しいとか思われたくない、死んだらみんなの記憶から抹消されればいいのに。全部めんどくさすぎるから、みんなより長生きしてやる。
生まれてからずっと、自分が考えていることと世間の普通?とはズレていて、どうしても大多数から外れることが多くて、思ってることは言っちゃいけないんだって、理解されることは早々に諦めてずっと黙ってた(圧倒的非凡だったらよかったのに、凡人だからズレが際立つ)。あけっぴろげなのを装って、芯の部分は晒さなかった。
でも、理解されない・誰も自分を知らないって、限りなく孤独で、ずっと寂しかった。
めんどくさい考えしてる人間は、理解してもらう努力をしていかなきゃいけない。世の中、言ったらわかってくれる人ばかり。さらに、読解力がある人が私に取っては必要不可欠で、さらに柔軟な思考、さらに優しさ・寛容さ、さらに揺らがぬ軸、を、持つ人…つまり本当に賢い人でなければ、私の考えを読解できない。賢い人を探して、自己開示をするというのは多大な労力がかかるけど、おかげさまで段々うまくいってるのかな。今は理解のある人が数名いてくれてるから、ようやっと普通に息をして過ごせている気がする。
私も、彼らの思考は共感できることが多いから、'賢い'より'似てる'ということかもしれないけど。
それが、魂でつながってる、ということなのかな。全部受け入れるよ、理由はないけど。しいて言えるとすれば、'生き様の美しさに惚れているもの同士の信頼関係'なんだろうなあ。