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ミツバチのささやきのJAmmyWAngのレビュー・感想・評価

ミツバチのささやき(1973年製作の映画)
5.0
ガリシア語作家・詩人であるロサリア・デ・カストロの詩の引用自体が、フランコ政権による単一言語政策への逆説的な批判的メッセージとなっている、という解釈をブログで読んで超納得したりするんだけど、そうした数々の暗喩的なコンテクストを差し引いたって、結局は根源的な素晴らしさに直面するのであると思う。とにかくすべてのショット、そして時間の流れに豊饒な感覚が満ち満ちていてヤバイ。

イサベルによる「映画の中のできごとは全部ウソであって、(フランケンシュタインが)映画の中で死んだとしても、本当は外で生きてるかんね、わたし見たもんね、精霊なんだから殺されないし、映画における身体性なんて外出用の変装なんだかんね」という「ウソ」が、まさに映画の中においてささやかれて、アナはそのウソをずっと信じるワケじゃないですか。僕だって映画を観た後に、その「ウソのできごと」をウソと分かりながらも信じて、そして信じることによって助けられて現実を生きているところがあるワケですよねこのド腐れ賃金労働者はね。
僕がアナを心底リスペクトするのは、彼女はそのウソの外側(=精霊)を探しているからである。大人になった今、僕はウソを信じる事は出来ても、精霊を探すまでの行為には辿り着けない。しかしながら、僕がアナぐらいの年齢の頃は、そんな現実と虚構の区別無き狂気的な行動も、純粋な感情によって自然に行っていたハズなのである。アナの姿は、そうしたプリミティブな感覚を強烈に呼び起こすのである。
(文脈が異なるけれども、イサベルが血を唇に塗るシーンなんかもすげープリミティブ)

「映画は映画」とはごもっともだけれど、それが現実的な感情に何の影響も及ぼさないのならば、そもそも映画なんて観ねーのである。この作品は、暗喩的なメッセージや幼少期のプリミティブな感覚を踏まえて、「人はなんで虚構を生み出すんですかね」という問いに、重層的且つ根源的に触れていると思う。
Colmena(蜂の巣)に係る表象がフランキスモ的な全体主義を象徴していると言うんだけど、(もちろん程度の差こそあれ)今だって社会的なシステムに息苦しさを感じる事はあるワケで、いつだって何度だってこの作品を観て、そして精霊を探しに行っちゃえばいいじゃない☆ ¡Viva el espíritu de Ana!
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