開明獣

山猫の開明獣のレビュー・感想・評価

山猫(1963年製作の映画)
5.0
ロシア・フォルマリズムを代表する思想家、ミハイル・バフチンは、ドストエフスキーの諸作品を鋭い洞察力で解析している。彼は論ずる。そこには、ポリフォニックな祝祭性を観ることが出来ると。「罪と罰」でも、「悪霊」でも、あのかの有名な「大審問官」の章を含む「カラマーゾフの兄弟」でも、多種多様な人々が絡まり合い、もつれあって、祝祭という名の旗を織りなしているのだという。

ドストエフスキーの「白夜」を映像化したヴィスコンティが、このバフチンの理論を知らなかった筈がない。だからこそ、この作品でも、没落貴族だけではない登場人物たちの綾なす絡みが作品に彩りを与えていく。

18世紀のフランスで活躍した風俗画家の巨匠ジャン=バティスト・グルーズの傑作「罰せられた息子」に自らの境遇を重ねるかのように魅入る主人公。没落貴族の末路を諦観にも似た受容をしながら歴史に抗うことなく、しかし、次の世代へと時代へを託していく。そこには滅びゆくものの気高く、しかしシニカルな美がある。

原作者のランペドゥーサは、パレルモ出身の貴族で、この作品の他、僅か3点の短編しか残していない。同作は著者の死後に、ヨーロッパでは、イギリスのマン・ブッカー賞、フランスのゴンクール賞と並ぶ権威のあるイタリア最高の文学賞、ストレーガ賞を受賞している。だが実は、この作品は原作の途中までしか映像化していないのである。ボリュームというより、同じく貴族の出自であったヴィスコンティは、この終わりこそが明示的にも暗示的にも彼の美学を抽象化するのにもっとも相応しいと考えたのではないだろうか。

ランペドゥーサを始めとして、ピランデッロや、ヴィットリーニ、シャーシャなど名だたる作家を輩出しているシチリア。映像作家でいえば、「ニューシネマ・パラダイス」などが代表作のジュゼッペ・トルナトーレもここの出身で、この乾いた土地を題材にした作品を多く手掛けている。

かつては独立国であったシチリアの歴史は、多くの国に蹂躙された遍歴をもつ。イスラム勢力下にあったり、スペインやフランスの統治下であったこともある。二次大戦時後には一時、イギリスの統治下になる話しもあったという。他民族の混入を受け入れながらも独自性を保とうとした歴史は、この地の住民の特性を独特なものに形作ったようだ。冒頭で述べたバフチンの言う多様性もここから来ているように思えてならない。「シチリアの会話」で著名な作家のヴィットリーニは、シチリア人を評して「プライドが高く移り気」と述べている。まさに、その移り気な気質こそが、色彩豊かなテクスチャーを与えてくれているようである。

シチリアと言えば今では多くマフィアを連想させるが、かつては欧州の要諦として数々の政治の表舞台に立っていたものであった。貴族だけではなく、地域として没落していった様を、本作では頽廃的な腐臭にも似た描写で表している。貴族出身のヴィスコンティだからこその技であろう。

蛇足ながら、我が国を代表する作家の村上春樹も彼の地を執筆活動のために訪れ、ジョギング中の野良犬の多さに閉口した旨を「遠い太鼓」の中でしたためている。映画にも造詣が深い同氏は、このヴィスコンティの名作の舞台で何に思いを馳せたのだろうか?
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