せーや

善き人のためのソナタのせーやのレビュー・感想・評価

善き人のためのソナタ(2006年製作の映画)
4.0
※この映画の監督は
この後ハリウッドで
「ツーリスト」を撮りました。

1984年、東ベルリン。
国家保安省の局員ヴィースラーは
反体制の疑いのある劇作家ドライマンを監視することに。

第二次世界大戦が終わり
ドイツは4ヵ国により分断統治され
最終的には米ソによって
東ドイツ、西ドイツが建国されました。

アメリカによって
自由と先進国としての技術を手にした西ドイツ。
かたやソ連によって
束縛と監視の暗い道を歩むことになった東ドイツ。

1989年にベルリンの壁が崩壊するなんて
当時は全世界の誰もが予期しなかったこと。
つまり東ドイツの国民は、この国家が
ずっと続いていくのかと思ってたわけで。
そんな中で、あのような状況で、
よく人々は耐えることができていたなと。
耐えられなかったからこそ崩壊したんだろうけど。

日本も戦後こうなる予定だったんだそうで。
4ヵ国に分断統治されていたら日本はどうなってたんだろう。

主人公は「善人」ではない。
東ドイツの秘密警察の一員であり
国民の生活を統制している側の人間、
権力を持った人間だった。

彼は国家への忠誠を誓っていたし
ドライマンの監視を申し出たのは
他ならぬ彼自身だ。

しかし彼はドライマンを監視するうちに
彼の生き方に共鳴するようになっていく。

善人が悪人になるのは非難しやすい。
だが悪人が善いことをするのはタチが悪い。
誰かこんなことを言ってたような。

ヴィースラーは紛れもない国家の犬であり
国民にとって「悪」であった。
彼がドライマンという「善」に荷担したことで
今までの罪は消えるのだろうか。

たったひとつの善いことをしたところで
罪を償ったことにはならない。
ヴィースラーもそれはわかっていたんだろう。

だからこそ、
自分にその意識があったからこそ、
自分がしたことを誰にも打ち明けることはなかった。

しかし彼がしたことは
多くの人間を救うことになった。
それは間違いない。

東西統一後のドイツでは
国家保安省により監視された人々の報告書が
そして監視した人の実名が
実際に監視された人々に公開されてるそうで。

Nein, das ist fur mich.
いや、これは私のための本だ。