貞子の怨念。
井戸に落とされ、1度も蓋が開くことなく、30年間もの間、実は生きていた、、、。
その積りに積もった怨念。
それが人を媒介し、念としてビデオに念写され、世に出た前作からすぐの話。
その念の呪縛から解き放たれたかと思いきや、陽一に取り憑く。ここがなかなか難しい。
“呪いのビデオ”は、観てから1週間で死ぬ。
“奴”が現れ、トドメを刺しに来る。
でも、その呪いを解くのは「ダビングして人に見せる」こと。だから、それを父親、祖父に見せたことで呪いをジャンプしたはずの陽一なのに、、、。
この2では、その前作までの“鉄壁のルール”が破られると言って良い。
つまり、1つの呪いが数珠繋ぎでジャンプしていく“呪いのビデオ”が、死は免れたものの貞子の怨念の破片が残る人間の念写によって、別の怨念を発症させる。
つまり、呪いのループが1つではなく、それを断ち切ったところで別の念が生まれている、いや、貞子が生まれさせてる、と。
いよいよここから貞子の力が「多地点化」するということ。
残留思念がモグラ叩きのように、消せども消せども違うところから生まれる可能性を示唆している。
これはなかなか恐ろしい話。貞子の力がもはや人の手ではどうしようもない、どうこうできる話ではない圧倒的なモノにしてる。
ただ、そんな恐ろしい話なんだけど、ここから先に続く続編や貞子にフォーカスしたスピンオフとかもこの「多地点化」を活用するので、少々、使い方を間違うと変な感じになってしまう、いわば“諸刃の剣”のルール、「多地点化」、ではある。
中谷美紀や深田恭子、小日向文世など、ここでもまた若かりし姿で、顔ぶれがスゴい。
特に深キョンがあんな姿になっちゃうし、小日向さんも最後はもう怨念に取り憑かれてるというより、もう頭おかしくなっちゃうし、「この人達が“普通ではなくなる”感じ」に圧倒はされる。
そして、あの最後の井戸から這い上がるとこ。
あのシーンはビジュアル的には個人的にはジャパニーズホラー史上ではなかなか上位に食い込むインパクト。
前作の真田広之を追い詰める「“貞子”、TVから〜」がスゴ過ぎてそこには及ばないかもしれないけど、あの「“貞子”、下の井戸の水からヌ〜っと現れ、這い上がってきて〜」の、焦らせる感と横並びになった時のアレ、アレはもう息が止まる。
前作の時間との戦いや、調べてくうちに想像を絶していく恐ろしさとはまた別の、想像を絶するモノが前提で始まり、さらにそれを超える恐ろしさがあった、という、“貞子の力”がもはや手の施しようがないことを決定的にした作品。
もうどうしようもない。
貞子ですらどうしようもないと思ってると思う。