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彼女が消えた浜辺(2009年製作の映画)
4.1
 なにが最悪だと言っても、望んだことなどないのに便宜上であるにせよ誰かが死んでいてくれればいいなんて思うことほど悪い事態はないだろう。ところが、セピデーはエリの婚約者に向かって、このお見合い旅行に際してエリは婚約の件を告げなかったと噓をつく。
 この少しあと、エリらしき遺体が上がったと通知が届くが、このタイミングは監督の計らいである。それを知っての嘘ならばセピデーもエリから真実が告げられる事を恐れエリが生きて見つかり証言される事のありませんようになどと願わずに済んだのだ。最悪な最後とはこういう事であり、この最悪事をセピデーは長くこころに留めるのだろう。セピデーの増えた白髪にそんな事を思う。

 おなじ事は旅の同行者らも一様に思っていたに違いないが、答えられるのはセピデ―ただひとりである。この物語の辛いところは誰もその嘘を口外してしまったセピデ―の思いを分かち合えないところにある。
 もちろん、エリの生存は絶望的ではあったろうし、方便としてついた嘘なのもその通りだが、そのとき、セピデーはエリをこころの中で裏切り、噓つきにし、殺してしまったのを感じたのだ。
 その動揺を同行者たちは共有しないでいると思うかは観衆各人まちまちだろうが、少なくとも彼らも冷静ではいられないに違いない。浜に埋まった車を引き出そうと苦労する彼らもAWDで牽引する事さえ気づかずにいるのだから。

 保守派で対外強硬路線のアフマディネジャード政権期のイランだが、そんな空気を感じさせない事に幾分驚く。こうした事件のもとでのひとのこころのありようには違いのないのが知れるだろう。
 ただ、一点気になるのはエリと婚約者との3年間である。双方の親が望まないという、信仰上の問題なのか、家格や収入の問題なのか、親のため話が進まない関係をエリは本心から断ちたかったのか。アーマドなら親たちの了承が得られ婚約者に諦めさせられると思ったのか。それならアーマドへの関心が帰る事に勝りはしないのか。それともあらためて婚約者への思いが断ち切れない事を実感したのか。
 エリを最後に目撃した凧あげで空に一心視線を遣る様子がどこか清々して見える。本当はエリは誰との結婚も望んでなかったのではないか。
 それにしても誰もが急場しのぎのように嘘を放ち平気でいるらしい。しかもそれが噓と分かっても平気でそれに応じてしまう。まるでそれが互いに方便と認め合っているかのようにさえ感じられる。
 そんな中、エリだけが電話で居留守を頼むぐらいの噓にとどめているようで好ましい。結局、男二人に本当のところを告げずに終わってしまったのだが、あるいはエリもそこで何らかの嘘をつくことになるのか煮え切らない様子が気になった。それだけにあの凧あげのいっときの取り繕いのない風が美しく思えるのだ。