三四郎

まごころの三四郎のレビュー・感想・評価

まごころ(1939年製作の映画)
4.7
富子役の加藤照子、なんて愛くるしい瞳の可愛らしい女の子だろう。かなりの美少女だが子役のまま映画界を退いたのかしら?

「大日本愛国婦人会」の行列から始まる…というのが1939年という時代を感じると共に東宝らしい。

成績が一番から十番に下がり、その通信簿について「お父さんは叱らないけど、お母さんは危ない」と帰宅中、富子と話す信子。
子供の成績のことで先生に文句を言いに行く母親は昔からいたんだなぁと驚き、そして笑えた。現代で言うモンスター・ペアレント。ただ現代と違うのは、教師が毅然とした態度で母親に向かい、正直なところを言うことだ。
「信子さんは非常に明るい利口な子供さんだと思っています。お宅のような家庭で育った人でなければ得がたいような、のびのびとした朗らかなところがあって、そういう点は大変いいことだと思っていますが、一面から言うとわがままで気まぐれなところもあるようです。
低学年の間は、あまり勉強しなくても生まれたままの素質だけでいい成績をあげることもありますが、6年生ぐらいになりますとやはり多少努力してやっていかないといけないと思います。
そういう点、信子さんは才走りすぎて、地味な着実な努力が足りないようですから、今の状態で放っておけば、先に進み次第、もっと成績が低下し、性格の方もわがままだとか、気まぐれだとか、少し見栄張りだとか、そういう面白くない方面ばかりが発達するのではないかと心配しております。」

そして、一番は誰だったのかと聞く母親に、先生は長谷山富子であると答え、富子のことをとても褒める。現代の学校教育関係者と保護者に是非見て頂きたい映画だ笑

少女同士の会話は実に純粋だ。純粋だからこそ思わず涙がこぼれ落ち悲しくて悲しくて…という演出がなんとも素晴らしい。

富子は、母親に信子から聞いた話をして、母親が「ケイさん」とふと漏らした言葉に傷つき「なぜケイさんなんて言うの?」と愛くるしい瞳を悲しませながら問いただす。繊細なガラスのハートの少女、傷つきやすいとしごろなのだ。子供同士の友情、大人同士の事情と秘密…複雑で一歩間違えば破滅だが、タイトル通り「まごころ」のこもったあたたかくやさしい作品となっている。
成瀬巳喜男監督の作品は男女のジメジメした湿った陰気な感じがして苦手だが、この作品は実に美しい。爽やかとまでは言わないが朗らかだ。

父親は召集令状が届き戦争へ。嬉しそうな笑顔で信子は「おめでとう」と言い、父も微笑。そんなとき、信子の父親が富子にお礼として贈ったフランス人形が富子の手紙と共に届けられる。父親の手と手紙がアップで映り、最後三行「お父さまからお人形をいただきました。うちのお母さまが困っていましたので、お母様には黙ってお返しします」以外をボカし、この三行がクッキリ見えるような演出にしている。

映画において手紙はしばしば出てくる重要な小道具だが、その手紙の内容を伝える演出の仕方は作品によって様々だ。声に出して読むものもあれば、一人が読んだ後に内容を周りの人に言う場合、そして中味を見せず役者の表情だけで伝えるもの…どれも興味深い。
ラストは突然やってきた感じだが、これはこれで後味がいいな!
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