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エクソシストのhorahukiのレビュー・感想・評価

エクソシスト(1973年製作の映画)
4.8
今までも好きな映画ではあったんですけど、正直それほどハマってたというわけではないんですよね。でも今回久し振りに見たらどハマりしました。

内容はほとんど覚えてたから物語的な驚きはないはずなんだけど、この抑えた演出の中でさりげなく描かれるカラス神父の心の機微と熱さにやられてしまってクライマックスは号泣。『The power of Christ compels you!』をメリン神父と一緒に鬼気迫る表情で何度も叫ぶカラス神父に完全にやられました。熱すぎるよ!そこに至るまでとそこからラストまでのカラス神父の表情の変化にも感極まってしまいました。

本作はリーガンに憑いた悪魔パズズを神父2人が祓うお話ではありますが、真に悪魔祓いを受けてるのはリーガンというよりカラス神父なわけです。善と悪の対決と良く言われますが、人生に対する絶望と希望というカラス神父の心中での観念的な戦いを主に描いている。

信仰は何者も救わない。人を救うのは医学。それが神父であり精神病理の講師でもある信仰と医学の双方を担うカラス神父が辿り着いた結論。でも当然医学でも救えない者もいる。そこにあるのは絶望。この絶望に憑かれ、諦めの感情が心を支配していたカラス神父が悪魔祓いをすることで自身の悪魔(絶望)を払い希望を手にし救われる物語が本筋となっている。

だからこそ『The power of Christ compels you!』を叫ぶカラス神父に心を動かされる。絶望に抗う希望が存在することを感じとり、その希望が人を救うということを心の底から信じるに至ったからこその言葉。それまでの救いへの諦めを全身から漂わせていたカラス神父の人生に疲弊しきった姿から一変し、悪に抵抗し打ち勝とうとする力強い表情と静かながらも熱い思いが見ているこちらの胸を熱くする。そしてその希望こそが信仰であり、人を救いたいという心の底からの思いでもある。

もちろん本作は信仰を肯定する物語ではありますが、そういった単純なところでは終わらず、形だけの心のない信仰は否定していくわけです。だから本作が描く真に重要なものは信仰ではない。それは人を救いたいという純粋な気持ちであり、人を救うことにより自身も救われるということ。

悪魔は嘘つきだという言葉も非常に重要。悪魔は人を絶望へと追いやる存在の暗喩であり、嘘の中に真実を混ぜるからこそ人を簡単に信じさせ、貶める。これは人生についても同じで、物事の一面(悪い面)だけが心を支配し絶望のどん底へと落とされることをも表す。これはまさにカラス神父が陥っていた状況であり、悪魔憑きそのもの。

物語の運びとしても非常に丁寧で、カラス神父の絶望をホームレスや母親のくだりでじっくり描くだけでなく、医学が人を救えないということもリーガンとカラス神父の母親の2視点から描いている。特にリーガンに対する検査で何をやってもことごとく原因がわからず救えないことを段階を追ってしっかり見せることで、観客に本作が医学がもたらす身体的・物理的な救いではなく、人生に光をもたらすための魂の救いを描こうとしてることを強く印象付ける。

冒頭のイラクでの墓掘りも印象的。余計なBGMを極力排し、ひとり行動するメリン神父を通じて異国だからこその疎外感や非日常感により、何か良からぬことが迫ってきているという違和感を積み上げる。そしてその違和感の迷宮を進んだ先に待ち受けるのは、善と悪の表裏一体関係を象徴するパズズの彫像。悪魔パズズとメリン神父の対峙はわざとらしくはあるけれど、私的には好きな演出。

恐怖演出もうまい。本作は派手な演出をほぼほぼしない。ジャンプスケアもないし、そもそも恐怖演出として見せようとはしていない。本作は「悪魔に憑かれた少女」のあるがままを描くことに意識を集中していて、創作としての恐怖シーンというより、ドキュメンタリーを見てるかのような現実感を纏わせることに成功している。

だから本作の恐怖は通常のホラー映画から感じる恐怖とは違う。普通の人間ではできないこと・やらないことを繰り返させることで、リーガンを人間から徐々に逸脱させていく。特殊メイクにより見た目も大きく変わりますが、それ以上に心的な逸脱による違和感と嫌悪感を積み重ねることにより、恐怖をより重く観客にのしかからせている。

本作の描く恐怖とは、誰もが心の中に持っている悪(人生への絶望や罪悪感、無力感)に屈っしてしまうことであり、その悪に染まってしまった姿をリーガンという形で投影し視覚化したものを目の当たりにするからこそ、本作は観客側の心に強く訴えかけるパワーを持って迫ってくる。

リーガンが悪魔つきになる原因も非常に身近でそれほど珍しくはないこと。ホラー映画でも良く取り上げられる題材だし、神の不在を表現しているという点でもわかりやすい。そして本来であれば、その解決には悪魔祓いよりも相応しい方法があるにも関わらず、それについては本作では言及されない。そういったところからも本作がカラス神父の物語なのだとわかる。

カラス神父の「なんであんな良い子が…」という言葉はとても象徴的。本質的には善である人間はすこしの迷いで悪に堕ちてしまう。その「悪」に手を差し伸べ寄り添うことで、奥底に眠る本質的な善を知る。それこそが本作の描く「信仰」であり、「悪」を取り除き「救う」ことで自身が救われるのだということ、そして人の本質としての「善」に対する「信仰」という普遍的なテーマが根底にあるからこそ、名作として君臨し続けるのだと思います。

ちなみにディレクターズカット版との大きな違いはスパイダーウォークの有無ですね。あちらにはあるんですけど、この劇場公開版には存在しません。それとラストシーンも違います。私はどちらかというとディレクターズカット版の方が好きかな。