日本の性教育について考えさせられる映画。
他の人が言うように、ストーリーや設定については無理な部分が多いように見えるが、監督が伝えたいのはそこじゃないように思える。
日本の性教育は性器の名前と受精の仕組み、そして性病や避妊のためのコンドームの必要性を教えているだけ。
自分がコドモの時も、SEXが男女にとってどのような存在かきちんと教わらなかった記憶がある。
確かに、受精がどのように行われ、どのように赤ちゃんができるのかというのは教わるべきこと。
でもその行為が、どれだけ愛に満ちた行為なのか。とても素敵で幸せな事なのかを子供達には教えなければならない。
この作品の最初、子供たちの中でSEXはエロ。出産はグロ。という認識で、八木先生はそれを正そうと周囲に訴えかけている。
子供たちは春菜の妊娠や出産に触れ、そのうちに性とは何か、愛とは何か、出産とは何かを学んでいく。
私たち観客は何が正しいのか、何が悪いのか、その結論を出せないまま悶々と結末を迎える。その気持ち悪さが、本題を見失う要因にもなっている。
しかし、そうではない。
正しいとか、間違っているとか、悪いとか、良いとか、そういうことではなく。
命と向き合う事が大切なんだなと改めて気づかされた。
春菜の祖父が『何を恥じることがある子供は宝だ』と言うシーンにジンとくる。
スマホの画面でおっぱいが大きい女の人を見て男の子は愛を学べるのだろうか。今一度コドモの性教育を日本は考え直すべきだと思った。