純

アンドレイ・ルブリョフ 動乱そして沈黙(第一部) 試練そして復活(第二部)の純のレビュー・感想・評価

3.7
聖人とされるイコン画家、アンドレイ・ルブリョフの喪失からの再生物語。3時間を超える尺の長さで、断片的な彼の記憶、渦巻く心の葛藤を見事なカメラワークで描き切った、文字通り巨匠の作品といった1本。

伝記映画とは言ってもさすがはタルコフスキー監督、と唸ってしまうほど登場人物たちの内面へのズームが凄まじく深い。私がロシアの歴史や宗教観を十分に理解できていないから、より普遍的なテーマばかり追ってしまっているところもあるだろうけど、それにしても人間の心の機微をここまで時間をかけて表した作品はそうないんじゃないかな。恐れ知らずの天才として名を馳せるルブリョフに嫉妬を抱く仲間との決裂や、身を裂くほどの痛みを伴う、家族のような存在の友との別れ。旅を通して考え直す、「自分が絵を描く理由」。10章にも及ぶエピソードで彼は多くのものを見て、聞いて、感じる。美しいものだけでなく、堪え難いほど醜い人間の生き方までも。神聖なイコンを描く役目を果たすべき自分の在り方そのものを問うルブリョフの曇った心ゆきが、大自然とともにときに迫力を持って猛々しく、ときに静止した空間で密やかに描かれていて、人生が凝縮された濃密度だった。

モノクロ映像から滲み出てくるような葛藤、不安の繊細さが際立っている作品であるから、長丁場な作りと合わさって心にのしかかる重圧のようなものはすごかった。ただ、善悪とは何か、罪を償うにはどうすれば良いのかといった、終わりがないように見える模索の答えが、鐘造りのエピソードで分かりやすく回収されているように思う。結局、皆「頑張ってるね」と言ってほしい。気づいてもらうための努力でないことは承知な上で、誰もがそのひとだけの苦しみを抱えながらも必死に生きていることは受け入れている上で、それでも自分は大丈夫なんだって、ひとは思わせてほしいと願ってしまうんだろう。少年は本当は秘伝なんて教わっていなくて、怯えながら生きていた。あんなに周りに強く当たっていたのは、気が荒いからではなくて、保身のために自分を駆り立てる必要性があったから。そんな非力な、でも健気に命を燃やした彼にルブリョフは「君は鐘を造り、私はイコンを描く」と話す。どんなに苦しくても、ひとはやはり自分だけの役目を負ってこの世に生を受けたのかもしれない。ルブリョフは、絵の才能がなかったら少なくとも別の苦悩を抱いていたのであって、でもそれは無意味な仮定にしかすぎない。今自分がこの世ですべきことを確信した人間は強く、国境や時間を超えて、何か大きなことを成し遂げることができるんだね。色々なものを失って、壊して、立ち上がれなくなった過去に踏み潰されながら、それでも自分の足で自分の向かうべき場所を見出したルブリョフの描いたイコンは、それまでのモノクロから一変して鮮やかなカラーで細部までゆっくりとスクリーンに映し出される。このたった一枚の絵を描くまでにどれだけの人生があったのか、10章のエピソードや描かれなかった時間に思いを馳せながら観ていると、とても感慨深かった。

ひとは生きている限り過ちを犯すこともあって、自分自身の生き方に答えの見つからない問いを投げかけることだってある。そのときに罪を赦してほしいと願うことは、決して弱さではないけれど、自分も何かしらの努力を持って自分の正義を貫く必要性はあるんだろう。命を削りながら生きたアンドレイ・ルブリョフの壮大な物語に、私たちはきっと自らの内なる炎の揺らめきを感じるに違いない。
純