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裸の島のkaomatsuのレビュー・感想・評価

裸の島(1960年製作の映画)
5.0
先日観たタル・ベーラ監督『ニーチェの馬』が、マイ・オールタイム・ベストの一本である新藤兼人監督の『裸の島』と意外な共通点をもっていたことは、『ニーチェの馬』のレビューで少し触れた。タル・ベーラ監督が、『裸の島』を観て影響を受けたかどうかは分からないが、私が最後に『裸の島』を観たのが8年くらい前なので、その頃の曖昧な記憶を一度リセットすべく、今回4度目のリベンジ。本作は『ニーチェの馬』のような終末世界ではないが、ほぼ生活ラインが断たれた過酷な環境の中で、殊更ポジティヴにもネガティヴにも寄らず、ひたすら日々生活を営む家族の姿を描いている点は同じ。“人はなぜ生きるのか”を考える暇があったら、舟を漕ぎ、水を汲み、田畑を耕し、とにかく日々黙って働け、と言わんばかりの、慎ましくも質実剛健な家族のシンプルな生活ぶりを、一切のセリフなしで淡々と映し出している。

前半は延々と、夫婦(殿山泰司、乙羽信子)が水を汲んで運ぶシーンの繰り返し。ライフラインのない孤島に住む4人家族は、水を得るために、夫婦で隣の島まで小舟を漕ぎ、大きな桶を天秤棒で肩に担ぎ、水を満杯に満たして小舟に積み、子供2人が待つ島へ戻る。この孤島のほとんどが丘陵地帯なので、水桶をバランス良く担ぎ、しかも相当の足腰の力で急斜面を登っていかなくてはならない。飲料や風呂、料理に加え、田畑を耕すための貴重な水を、わざわざ隣の島から運んできた以上、一滴もこぼすことなどできない。そんな淡々とした、日々の緊張感溢れる作業の中で、突然その流れを止めるミニマムなハプニングが起こる。無言で淡々と進んでいくドラマだけに、ごく些細な一瞬の出来事でも、その衝撃波は破壊的に大きい。後半にも2、3のささやかな出来事のあと、大きなクライマックスが訪れるが、幸せも不幸せもまっすぐに受け止め、シェアし合う家族の姿は本当に尊く、ハードな生活環境だからこそ、助け合うしかない4人の日常生活における機微が、セリフを排した静かなストーリーや所作を通して、ダイレクトに観る者の心を揺さぶるのだ。

中盤、あるきっかけで家族4人が尾道まで出かけるシーンがあるが、ロープウェーから見下ろす昭和30年代中頃の尾道の街を観るのはとても貴重で、かつ壮観だ。また、険しい急斜面を天秤棒で水桶を担いで登ったり、舟を漕いだりと、体力の限界に挑みながらも、子供と夫への愛情を絶やさない妻を演じた乙羽信子の渾身の演技は、作品そのもののもつ歴史的な価値と同様に素晴らしい。今回4度目の鑑賞にして初めて、乙羽信子が小舟のオールを漕ぐ姿や、農作物に水を与える仕草が、妙に美しく色っぽいことに気付いた。ただひたすら大真面目に「生」に向き合うだけでなく、常になにかしらの「性」もちゃっかり描く、茶目っ気ある新藤兼人監督のこと、妻である乙羽信子に対して、ささやかなエロティシズム表現を求めた可能性は大きい。

最近、第一次産業や地域社会を扱った“生活映画”を好んで観ている(そんなニッチな作品自体少ないし、あったとしてもDVD販売されていないことが多いけれど…)。本作はまさにその究極であり、自給自足で生きる人間の最も根源的な姿を捉えた、稀にみる傑作だ。そして、『ニーチェの馬』だけでなく、『この世界の片隅に』にも多くの共通項を見出すことができたのは、またしても新たなる収穫だった。
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