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おもひでぽろぽろのbのネタバレレビュー・内容・結末

おもひでぽろぽろ(1991年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

※先に書いておきますが、なんだか上手くまとめられず、読みにくい文章になっている事を陳謝します🗿

アラサー女性が田舎に旅行することで少女時代(小5)を懐古するという話。少女時代と現在のパートが平行して描かれる。 
本作は古くは『赤毛のアン』から、そして残念ながら遺作となってしまった『かぐや姫』まで長きに渡り高畑御大が描き続けたフェミニズムが根本にあります。

物語冒頭、主人公の女性が勤務先の会社に、田舎へ行きたいという理由から休暇を申請する。その際男性上司の「失恋でもしたの?」という発言。又は母親の「いい年なんだんから(27歳)そろそろ結婚云々~」という発言。
そういった一見すると些細で他愛ない(ようにも映る)セクハラの数々が描かれます。
こういうのは相手がセクシストなら問題は簡単ですが、『Hidden Figures』でも描かれていたような社会通念による無意識な差別のため、話がより厄介であります。なぜなら特定の個人が問題ならその人をどうにか(粛清)すれば済むが、社会通念として差別が存在する場合は社会を変えなくてはならないからです。又、被差別者側もそれを差別と認識出来ないため声を上げる事が難しいというのがあるとおまいます。
こういった差別の描き方を91年の時点で既にやっていた御大の凄まじき先見性はホントに驚嘆の域でございます。天才は他よりも10年、いや20年速い。


脱線しましたが、
主人公のアラサー女性がその年齢柄、周囲から婚期を意識させらることによって、女性性というものに束縛されるようになる。そして彼女は現実逃避として田舎へ対する憧憬やノスタルジーを抱くと同時に、ふと思い出すようになるのは、初潮の始まりにより周囲から女性として扱われ始める小5時代であります。

本人は無意識ながら社会からの女性性という抑圧から逃避するように田舎へと向かうが、田舎は少女時代の象徴としてあるのは明らかであり、少女時代既に彼女に対する女性性の抑圧は存在していたわけであるからして、女性が女性性から逃れる事は不可能であるという諦観を描いているようにも思えます。田舎という一見解放的な土地でラスト主人公が体験するある非常に差別的な扱いだったりは愕然としてしまいます。本当にこのクstyd2はd-(非常に口汚い罵詈雑言)。

しかし、ラストの描き方からして弁証法の作家高畑御大は『かぐや姫』同様、スリリングにもそれでもカルマを肯定して見せるのです。(正直これはもうわけが分かりません、ノスタルジーを絶ちきるのが本作のテーマだったはず....僕には手に負えないのですが....)

御大の緻密で生々しく巧みな日常描写により積み上げられる人生の辺獄さ。あまりにしんどく個人的には結構な鬱映画。

ノスタルジーを強く喚起させる演出として、現在のパートはハッキリと写実的に背景を描写するのですが、過去のパートは余白を多くとる事で観客一人一人が自分の記憶でその余白を埋められる工夫が施されていました。又、非常に幼少期の人間関係の描写がリアルで「アレ?これまさかおいらの記憶を元にしたんじゃ?!記憶を....盗まれた?..高畑キサマッッッ!」などと疑ったりはしませんでしたが、それくらい妙にリアルで自分の過去と照らし合わしてしまいます。さらに徹底リサーチによる昭和風俗描写、その時代を生きた人は自らの実人生と重ね合わせてしまうのではないでしょうか。


この作品の特段すごいところは、周囲はもちろん本人すら向けられる差別に無自覚という差別の描き方だと思います。繰り返しになりますがこのような差別の描き方を既に91年の時点でやってのけた御大は果てしなく偉大な存在だと改めて感じました。

最後に印象的な主題歌の一節を
『死ぬのを恐れて生きることが出来ない』
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