なつかし二番館

上意討ち 拝領妻始末のなつかし二番館のレビュー・感想・評価

上意討ち 拝領妻始末(1967年製作の映画)
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原作は読んでいたが,映画は見ないうちに見えなくなった。
ただ映像化はこのあと何度かされている。
Abemaで2013年にリメイクされたのをしていたのを見た。見直すとほとんど忘れていた。
脚本は橋爪氏のリライトなので,おおむね映画通りと思う。
原作の小説はここまで極端な終わり方ではない。

史実は江戸初期の主従関係の中の悲劇だが,更にいろいろな事情が複雑で,映画の様に一気に死にはしないが,ある意味で原作小説より悲惨である。いちは14歳で松平正容に召され,17歳で笹原井三郎長男与五郎に下される。通常拝領妻は子供がいないお手つき女中の整理手段として行われるものだが,正容の場合は継室を恐れてかまわず奥から追放することが多かった。これがこの事件の背景である。
正容からの拝領妻がおこす事件はすでに以前に,悪嫁で手が付けられぬという類いのことがあり,笹原家も断り続けたあげく,家臣塩見家の娘として嫁ぐという条件で受けたものだった。その後しかしそうした懸念は無用で,与五郎といちの夫婦仲は円満で娘も生まれるが,正容嫡子死亡により,いちの子が嫡子と決まり,嫡子の母が家臣の妻という都合の悪い状態となった。
拉致事件は,実際はいきなりいちは城に召し出され,そのまま病気を理由に軟禁される。
笹原家では奥に戻すのは同意できても離縁はしない,離縁するにしてもいったん家に帰すべき,と譲らなかった。いちが強い意志を持っていたとの記録はなく,離縁に同意と笹原家に伝えられたが,笹原家は納得しなかった。笹原父子と次男に改易(家禄没収)蟄居の命が下り,家族は会津城下追放,親類も処分される。三男文蔵は家禄・役向きはないものの四人扶持を与えられた。
いちは奥では老女格待遇十人扶持で,生母待遇は受けなかった。原作の様に自分の意志ではなく,一度家臣の家に戻した身として受けられなかったのであろう。
二年後父伊三郎は幽閉されたまま死亡。さらに二年後,正容死亡し,いちの子が藩主になった後,いちは実家塩見家に戻される(藩主交代に伴い,新藩主のための女中が上がるため,かなりの数の旧女中お下がりが普通だった)。替わって藩主となったのは7歳になったいちの子であるが,生母と知らされることはなかった。
翌年,伊三郎後家に三人扶持が与えられる(男子が処分を受けたままお家改易なので,捨て扶持である)。積年いちの意志があったと伝えられる。同年,いちは23歳で死亡。死後も生母としての礼を尽くすかどうか紛糾したあげく,幕府に藩主生母死亡が届けられ,はじめて生母の待遇を受けた。

フィクションは時代を表すので,現代の視点で解釈し,事実を変え,考えてしまうが,当時としても非情な仕打ちであった。