かーくんとしょー

アメリカン・グラフィティのかーくんとしょーのレビュー・感想・評価

アメリカン・グラフィティ(1973年製作の映画)
5.0
「スターウォーズ」シリーズに一通りハマったのち、他にもジョージ・ルーカスの映画があると知って観た映画。
本国アメリカでは未だにかなり評価が高い作品。

本作は簡単に言うと、ハイスクールを卒業し、町を出て行く(もしくは出て行く者を見送る)最後の一夜を描いた青春群像劇。
この手の青春群像劇はアメグラものと呼ばれるのだとか。

日本ではここまで派手には遊ばないかもしれないが、それでも最後に皆が集まる離任式の日に羽目を外したり、成人式の日に羽目を外すのが近い文化ではないかと思う。
都会出身の方は理解しにくいかもしれないが、地方都市で高校時代を過ごした私の思うところでは、離任式や成人式には「もう二度と会えないかもしれない」という感覚が何処か微かに漂っていたような気がする。
だからこそ、そういう哀しみを振り払うように羽目を外してしまうのかもしれない。

話を映画に戻すと、舞台設定となる1962年はベトナム戦争が激しくなる直前の頃。
エピローグで語られるように、激化した戦争でテリーは1965年に亡くなり、前年の1964年に交通事故に巻き込まれて亡くなったジョンと合わせ、二人の死は極めて象徴的。
ジョンは青春の青い残照の中に儚く消え、テリーは暗い歴史の中に散った。そして、二人とも町に残った側だった。

のちに作家となるカートが本作では語り手に限りなく近い人物と考えると、恐らく彼は二度と二人には会えなかったのだろう。
つまり、彼らにとって最後に共に過ごした夜を描いた作品なのだ。
すると、卒業前のワンナイトという若者っぽさだけではなくて、この一日を切り取った真意が切実に感じられるように思う。
そして、この一日をもう一度アメリカ社会全体にまで普遍化すれば、若者たちの自由な翼が奪われ、古き良き時が戦争で終り、町に取り残された者たちに待ち受ける暗い未来……こういったものたちが暗示されている。

私はアメリカ史の知識は一般的な日本人程度しか持たないが、多くのアメリカ人が今なおこの作品にシンパシーを抱き、また同型の作品が未だに量産されていることから見ても、本作はアメリカの1962年を的確に切り取った〈普遍性〉を持つ映画だと考えられる。
こうした〈普遍性〉を備えた映画こそ、時代と国を超えて我々にとっても意義深い作品であることは言うまでもないはずだ。

written by K.
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