人間が内包する破壊欲望と、管理された全体主義社会のジレンマを描いた作品、、、と単純に言ってしまう事が出来れば、この映画は公開後40年以上経った今も語り継がれるような作品にはならなかっただろう。そこがスタンリー・キューブリックの凄い所だと思う。
まず、冒頭の老人虐待、レイプ、殺人といった残虐描写が明らかに長過ぎる。そこで主人公、アレックスを含む若者が使うスラングも意味不明で気味が悪く、観る者の忍耐を要する。
更に確信犯的なのは、それらのシーンでベートーベン「第九」が使われている事。アレックスが収監後に受けた心理治療でも「第九」が使われた事で、アレックスは自らが犯した罪と「第九」を関連付けて心に植え付けられ、その後の人生で「第九」を聞く度に激しい苦痛を味わう事になる。
治療を行った学者は、アレックスの改心と「第九」の関連を偶然だと言ったが、キューブリック的には必然であり確信だったと思う。暴力・破壊とベートーベン。僕達にとって本来全く関係の無い両者が、この映画作品という実験の中で紐付けされる。僕達視聴者の心に植え付けられたその関連は、公開後40年を経た今もずっと継続している。
犯罪は悪だ、管理社会は悪だ、改心は善だ。そんな簡単な事を表現するのなら誰にでも出来る。僕達の中にある暴力と、僕達を囲む社会について。音楽を通す事で、何十年も考え続ける事を求めたキューブリックは凄い。