140字プロレス鶴見辰吾ジラ

時計じかけのオレンジの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

時計じかけのオレンジ(1971年製作の映画)
4.5
【自由意思を生かすか?殺すか?】

高校2年のときに映画の勉強をしようとして手に取った「時計じかけのオレンジ」(スタンリー・キューブリック監督作品)の冒頭からの暴力に加えレイプ、そして「雨に唄えば」を口ずさむ無慈悲さに一気にトラウマメーターが上昇。お馴染みの「ルドヴィゴ療法」の禍々しさとその後、頭の中の嗜好品すら奪われた主人公の哀れさに驚愕した。

変な映画、不気味な映画という印象と言葉に出来なかった物悲しさや哀れさは職についてから痛感する羽目になる。

ウチの会社はいささか共産主義的なわけだが、その中で自由意思を見失わないようにすれば、部下が自分よがりになり自らの首を絞める羽目になる。であれば、徹底した言論統制と道徳教育に舵を切ればと考えれば自由意思の殺人に至るのでは?と恐怖を感じる。宿題をやらぬ子供に恐怖政治や強制力をもって指導をすることが本作のデフォルメだろうか?夏休みの宿題をテーマにすれば、やる気のない、ないし遊び優先を自由意思と捉えたときに、最初の1週間で恐怖と強制力で終わらせるのは、結果的に宿題の遂行を行えるが自由意思の生死が問われることとなる。危機感を感じればそれは行動に変わるが、支配者ないし監督側の立場に立てば、自由意思無視の強制労働ないしスパルタが全体統一に相応しい。

何が自由で
何が平和で
何が結果なのか?

万人の闘争であろうか?

本作は近未来設定であるが手触りは常に現代にあり、キューブリックの完璧主義がもたらす切れ味鋭いグラフィカル化は絶妙に体温を感じ得ず、本作の恐怖とそこにある危機に寄り添っている。