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時計じかけのオレンジのsatoshiのレビュー・感想・評価

時計じかけのオレンジ(1971年製作の映画)
4.8
 スタンリー・キューブリック監督が送り出した大問題作。上映当時はその暴力的な内容から批判が殺到したそうです。観てみると、確かに暴力的な作品でした。ただ、作ってるのはキューブリックなので、もちろんそれだけではなく、人間の暴力性を描いた寓話的な内容でした。

 キューブリックの代表作である『2001年宇宙の旅』は、骨を武器にしたところから始まり、最終的には核兵器まで作ってしまう人類の暴力の進歩を描いていました。彼は『2001年宇宙の旅』の制作時にキラーエイプ仮説(今は否定されている)なるものを知ったそうです。これはヒトと動物の明確な違いは同族を殺すことだというもの。つまり、「人間は人間を殺す」生き物だと言っているわけです。

 本作にもこの暴力性が受け継がれています。本作の主人公、アレックスは、暴力が服を着て歩いているような存在です。仲間と共に夜の街を歩き、無差別に暴力を振るいます。彼は人間の暴力性をそのまま体現したような存在です。

 そんな暴力の権化である彼ですが、ついに捕まってしまいます。そして、ルドヴィコ療法によって暴力に対し、吐き気を催すようになります。これで彼は暴力を振るうことができなくなりました。つまり、「無害」な存在になったわけです。観客的には「良かったじゃん」と思わないでもないですが、彼は出所後に壮絶な仕返しを受けます。彼は、彼自身が振るっていたような暴力を受けるのです。しかも彼はやり返せない。起こっていることは胸糞悪いのですが、これまで彼がしたことを考えると爽快感すらあります。ここらへんはキューブリックの意地悪な点ですね。

 ここから浮かび上がってくるのは、「人間の暴力性を強制的に押さえつけることは、同時に人間の尊厳を奪うことになる」という点です。ルドヴィコ療法は確かにアレックスを「更生」させました。しかし、それによってアレックスは壮絶な復讐に遭います。彼は人間として自由を奪われているのです。

 ルドヴィコ療法をやらずにアレックスを更生させることができるかと言われたら、それはNOです。あいつは一生更生しないでしょう。このため、「暴力を抑えるためには人の尊厳を踏みにじる必要がある。でも、そうでもしないと暴力を止めないよ」というジレンマが生まれます。

 しかもさらに恐ろしいのは、これを政府が主導して行っているという点。権力が人の尊厳を奪うことをやっている。これは完全にファシズム的です。本作では、このような「政治的暴力」も見られます。

 この暴力にまみれた映画は、最終的に実に皮肉が効いたラストを迎えます。「完全に治ったね」。彼は誰に言われるでもなく、自分から暴力を振るう存在になる事を決めます。それを「完全に治ったね」と言うことは、結局、人間は暴力的な生き物なんだというキューブリックの皮肉に満ちた考えが出ています。ラストの切れ味まで完璧でした。
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